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ボストンの道

 アメリカ東海岸の古都ボストンの人口は約60万人です。そんなに大きな都市ではありません。 私が住む熊本市よりも人口は少ないのです。でも、ボストンはなぜ有名なのでしょうか? ボストン茶会事件、ボストン美術館、ボストン交響楽団、ボストンマラソン、ボストン・レッドソックス、 そしてボストンバッグと、歴史、文化、スポーツ、生活用品でその名を馳せているからでしょう。 (ボストンバックは、イギリスのボストン生まれだと言う説もあります。日本でしか通用しない言葉だとも・・・)  また、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学をはじめとする60もの大学がある学園都市でもあります。 超大都市では無くても、世界の一線級の都市に違いありません。
 ボストンの道には赤い線が引いてあり、この線に沿って歩いていけば迷うことなく 観光スポットを見て回れるのです。道に引いてある線だったら黄色のはず・・・と思う人はきっと「オズの魔法使い」 の見過ぎです。ここはレッドソックスのボストンです。赤線でなければならないのです。 (ほんとかな?)
 なぜボストンなのか?世界遺産のような”目玉”がないボストンを訪問する事になった理由から 話しておきます。家内は28年前にボストンに近いコネチカット州のジェーンさん宅にホームステイした 経験がありました。それ以来文通が続いていて、最近、泊めてあげるから、家族で家に遊びにいらっし ゃいというお誘いがあったのです。
 家内の28年ぶりの再会を実現させたいと言う気持ちと、私も単なる観光ではない旅もしてみたい気が しました。それにボストンにはボストン美術館を始め、見所が多くあるので一度は行って見たいと思っていた 場所でしたので、ボストン旅行を企画しました。
 行き先を決めたもののパッケージツアーでは、ジェーンさん宅を訪問する事はできません。フリータイム があるツアーを選んでも、ジェーンさん宅に泊めてもらうならホテルの宿泊代は無駄になりますし・・・。 それで個人旅行に挑戦してみようかと言う気になりました。
 航空券は、福岡の旅行会社に手配してもらうことにしました(通信販売)。 航空券として、電子メールでpdfファイルが送られてきました。これを印刷して、当日、航空会社の カウンターに持っていけば発券してもらえると言う”Eチケット”でした。”現物”ではないので 何となく心配だなと思って、問い合わせもしてみましたが、今はほとんどEチケットになっている との事。Eチケットだと、予備を持っていく事も可能です。Eチケット使用時には パスポートの提示が求められますので、Eチケットを紛失しても不正使用されてしまう事はありません。 万が一紛失しても、(時間が掛かることもあるでしょうけど)パスポートさえあれば発券が可能との事。 そんなに便利な物ならば・・・と言う事でEチケットを使う事にしました。そして、インターネットさえ 使えればEチケットを入手できるように、自分のWEBメールにEチケットを送っておきました。
 航空券と並んで大事なホテルも日本語のホームページ上で手配できました。
 ボストンからコネチカット州のジェーンさん宅への移動をどうするかが大問題でした。バスでの移動も 可能ですが140kmの移動に、なんと4時間もかかってしまいます。ここも奮起してレンタカー にチャレンジしてみる事にしました。レンタカーであれば2時間もあれば行けそうです。 時差ぼけが解消されるように到着から2日間は運転しないほうが良いという事も何かで読んでいたので 到着後2日経ってからレンタカーを借りる予定にしました。
 海外で運転する時には国際運転免許証が必要です。これは、免許センターに行けば直ぐ発行してもらえます。 有効期限が1年なので何度も行くような人には不便でしょうね。海外の運転上の注意に関する情報ももらえる のかなと思いましたが、何もありませんでした。運転上の注意に関して最も参考になったのは、インターネットでもなく、 街角で手に入れたJTB社のアメリカ旅行のパンフレットに載っていたレンタカーに関する記事でした。
 それと日本から手配していたのが、ホエールウオッチングのチケットです。ボストンの沖合いに広がる Stellwagen Bankは、ザトウクジラの見事なジャンプが見られる海域として有名だそうです。 ガイドブックにはホエールウオッチングツアーの会社が2社掲載されていました。より速そうな船を使っている方の 会社にインターネットでチケットを 申し込もうとしたのですが、なぜか「kumamoto pref.(熊本県)」を入力する欄が最初の2文字しか入力 できないのです。アメリカであれば、州名は2文字で略記できるのでそうなっているのかもしれません。 海外からの予約は考えていないのでしょうか?メールで問い合わせても返事が直ぐに来ませんでした。 まあ、県名が書いてなくても郵便番号があれば郵便は届くはずだし、そもそもチケットは現地で受け取る事になっ ており、郵送されてくるわけでもないし・・・ と思い直して、数日後にチケット購入手続きをしてみました。ところが、手続きの最後でエラーメッセージが出てきて 購入できませんでした。メールで問い合わせましたが、今度も音沙汰無し。頭に来て もう一社の方のホームページにアクセスしたら、すんなり購入できました。よくよく見ると、こちらの 会社の船も同じ型の船で速さは変わらなさそうでしたし、水族館の入場券とセットにすると割引もあって、 願ったり叶ったりでした。客からのメールを無視していたのでは、来た客も逃げていきますよね。
 さて、旅行前の話が長くなってしまいました。パッケージツアーではない分、今回の旅行は手配に手間と時間 がかかりました。まあ、このようなものは結構楽しんでやってますけど。

 8月11日
 早朝4時に車で福岡空港に向けて出発しました。出発直後に家内のホームステイした 時の写真を忘れた事に気付きました。でも、無くても良いかと思ってそのまま進みました。10分後に 長袖の上着を忘れた事に気付きました。色んな事が頭を巡りましたが、取りに帰りました。 やはり、上着がないと私は飛行機の中の寒さに耐えられません。その時ホームステイ時の写真も 取って来ました。ジェーンさんから送ってもらったこの写真も、ぎりぎりの所で28年振りで 帰国(?)できる事になったのです。
 ”Eチケット”の不安が福岡空港で、何と現実のものとなってしまいました。 電子メールで送られて来たファイルを印刷した紙を見て、係りの人が端末に入力していますが、 手間取っているようで、なかなか発券してくれません。そのうち「航空会社発行のチケットは送られて来ませんでしたか?」 と聞かれました。どうやら、予約が確認できないらしい。「いいえ、持っているのはこのEチケット だけです」と答えました。すると、「Eチケットを発行した会社の緊急連絡先を 教えて欲しい」とも聞かれました。今の時間は午前6時過ぎ。この時間に営業している旅行会社 はほとんどないでしょうね。そういえば、Eチケットを受け取ったメールに「当日の緊急連絡先です。 万が一のためにお控えください」とコメントがあり、携帯の電話番号があったな・・・でも、控えてい なかった・・・。しまった! 「緊急」の意味が良く分からなかったが、このような時を想定していたんだな。 でも、そんな事が今分かってもどうしようもありません。係りの人は、「東京の端末から確認してみます」 とか、「乗り継ぎ先のアメリカの航空会社に問い合わせて見ます」とか言ってました。 飛行機に乗れなかったら、ホテルの予約は?レンタカー の予約は?・・・その他どうなるの? ボストンへの道は福岡で閉ざされてしまうのか?今まで準備してきて 手繰り寄せてきた道程が手の届かない所に遠のいていくような感覚に襲われました。 それはそれは長い時間が経ったような気がしました。でも実際は10分位だったと思います。予約の確認 が取れたみたいで、ようやく 発券してくれました。手間取った理由を聞いたら、「端末の応答が 悪かったようです」との事でした。いやな感じの旅行のスタートでしたが、とにかく発券してもらって 胸をなでおろしました。
 飛行機は福岡→成田→ダラス→ボストンと乗り継いで行く予定です。 日本からボストンへの直行便は出ていないのですね。ボストンへの道は遠い・・・。 荷物は福岡空港で預けて、成田では受け取らずにアメリカ入国審査を受けるダラスで受け取る事になって いました。アメリカ行きのスーツケースに鍵をかけてはいけないと言う事を聞いていましたが、一応、航空会社 の案内所で確認して見た時には「鍵はかけて」との事。「??」と思いながら預ける係りの人に 再度確認してみると「鍵はかけないで」との事でした。航空会社の人も皆知っているわけではないのですね。 アメリカではスーツケースの中身を抜き取りで検査しているそうです。その時鍵がかかっていたら鍵を壊す そうです。そして、壊した鍵は弁償しなくて良い事になっているそうです。どうしても鍵をかけたい人は、 スーツケースの中身を調べる係員が持っているマスターキーで開けることが出来る鍵が付いているスーツケース や、スーツケースベルトがあるので、購入すると良いとの事です。私達の荷物は大した物は入っていませんので 鍵はかけないまま荷物を預けました。
 成田空港で乗り継ぎました。成田空港は大変分かりにくかったです。空港内の移動の際、 途中で2回、人に尋ねました。
◆エコノミーの客を軽視するキャビンアテンダントの話
 ダラス行きの飛行機(米国の航空会社)の中での事です。 私達の座席はエコノミークラスの最前列で、壁一つ隔ててビジネスクラスの 座席がありました。最初は私が座席のクラスの事など何も気にせずに前方のトイレつまりビジネスクラスの トイレに行きました。その時は何事も起こりませんでした。しばらくして息子が同じ方向のトイレに行きましたが、 帰ってくるなりキャビンアテンダントがツカツカと近づいてきて、後方のトイレを使うように注意しました。 そして、通路を挟んだビジネスクラスの座席を白と黒のナプキンで結んで人の行き来をシャットアウトしてしまいました。 なんと感じ悪い仕打ちでしょう。キャビンアテンダントは通行する度にナプキンを一度外して再度付け直して いましたので、結構面倒だったと思いましたが、飛行機が着陸するまでそのままの状態でした。

 シアトル上空で夜明けを迎えました。朝食後まもなく着陸態勢に入り、ダラス空港に到着。ここで乗り継ぎです。 アメリカ入国審査を待つ長い列に並ぶ。乗り継ぎ時間はあまりない。私が聞くまでも無く、乗り継ぎ時間がないの だけども・・・と係員に聞いている人がいましたが、「みんな同じです」と言う答えが 聞こえました。あきらめて長い列に並んでいました。
 やっと私の順番になりました。ちょっと見は怖そうな大柄の入国審査員でしたが、なんと日本語で、しかも 優しく質問してくれて、思わず笑顔で答えたくなりました。しかし審査は厳重でパスポートを見せるだけでなく、 両手人差し指の指紋と顔写真を撮られました。こんな事を行っているから入国審査に時間が掛かるのでしょう。 入国者全員のデータを取っているのですから、大変なデータ量でしょう。
 次は飛行機の搭乗手続きですが、カバン類だけでなく、上着、靴まで脱いでX線装置に通さなければなりま せんでした。こんな所で靴下で床を歩くのは何とも情けない感じです。 やっとボストン行きの飛行機に無事乗り込む事が出来、これでとにかくボストンに到着する事が出来るという 安堵感でいっぱいでした。

 空港到着前にボストンの街並みを飛行機から見る事ができました。とうとうボストンに到着。
 ボストンの空港はローガン国際空港と言って、市街地から5kmほどしか離れていない大変便利な空港です。 ちょっと公共交通機関にも乗ってみたくて、シルバーラインと言うバスに乗ってサウスステーション (鉄道駅、バスターミナルもある)へ行く。そこからタクシーでホテルへ。ホテルでのチェックインも 問題なく出来てまたひと安心。 この日はホテル近くのレストランでボストン名物のロブスターを食べました。

8月12日
 ボストン美術館の本当の名前は「Museum of Fine Arts」。ボストンの文字はどこにも 無いのに、日本のガイドプックには「ボストン美術館」と書かれています。もっとも「ボストン美術館」の方が、 遥かに分かりやすいです。 著名な作品は見たつもりで すが、その他の作品はほとんど通り過ぎただけか、行かなかった部屋さえありました。全部見ていたら多分 ここだけで一日を費やすることになってしまうでしょう。あまりに急いだものだから、美術館嫌いの 長男が「ここは見ていかなくていいの?」と聞く位でした。時間さえあればもっとゆっくりしたかったのですが、 とにかくここはハイライトだけを見ました。見たいものは見て写真に収められたので一応満足でした。
ミレー作
「種をまく人」
ルノアール作
「ブージバル
のダンス」
モネ作
「ラ・ジャポネーズ」
ゴーギャン作
「我々はどこから来たのか?
我々は何者なのか?
我々はどこへ行くのか?」

岡倉天心の功績を記念して作られた「天心園」

イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館
 ボストンの大富豪婦人のコレクションを展示する美術館。ここは婦人が住んでいた邸宅でもあった そうである。とんでもない大富豪だったのですね。 展示品よりも展示室、中庭の雰囲気が 大変素晴らしかった。この美術館内ではコンサートが行われる事もあるらしい。多分、コンサートが 開かれるであろうと思われるホール(ステージ中央にピアノあり)に入ると 多くの人が椅子に座っていました。私達も休憩がてらに座っていると、美術館の職員が現れて 話が始まりました。どうやらこの美術館の生い立ち等の説明のようです。英語の内容はほとんど聞き取 る事は出来なかったのですが、手振り身振りも交えた説明は見ているだけでも楽しめました。 美術館全体が写真撮影が禁止なのが残念でしたが、このような雰囲気の美術館は珍しいです。 美術館と言うよりは、記念館と言った方がしっくりするかもしれません。

フェンウェイパーク
 ボストンと言えば、松坂投手のいるボストン・レッドソックスを思い出す人も多いのでは?フェンウェイ パークは、レッドソックスの本拠地の球場です。スポーツ観戦にそれほど情熱が無いのでボストンで 試合を見るつもりは最初からありませんでした。子供達にせがまれ、とにかく球場までは来て見ました。

ハーバード大学
 アメリカ最古、最高峰の大学。構内は観光地にもなっていて、団体さん(日本人ではない)も いました。ハーバードヤード(中庭)のジョン・ハーバードの銅像の靴をなでると幸運が訪れる と言われており、靴をなでている所を記念写真を取る旅行者が順番待ちをしていました。 下のハーバードヤードの写真に、小さいですが、ジョン・ハーバードの銅像と十数人の旅行者 が写っています。
大学正門ジョンストンゲート
ハーバードヤード
メモリアルホール

マサチューセッツ工科大学(MIT)
 工科部門で世界ナンバーワンの超優良校。中世ヨーロッパを思わせる建物と広々とした芝生の広場が 印象的なキャンパス。 室内のホールではジャグリングを練習している人がいたり、芝生の広場ではスポーツを楽しむ人が いて、これが大学構内?と思ってしまいそうです。キャンパスはチャールズ川に面しており、 川の向うにはボストン中心部の建物群が見え、これもまた素晴らしい光景でした。
ロジャーズビル
マクローリンビル
ジャグリングをしている人々
(マクローリンビルの中)
ヘンリー・ムーアの彫刻
アレクサンダー・カルダー
「ビッグセイル」
チャールズ川と
ボストン市街地


8月13日
ホエールウォッチング
 チケット売り場の前の列に並んでいると、手に印刷物を持った人に声をかけているスタッフの方が いました。私も予約番号を書いた紙を見せると、IDとしてパスポートの提示を求められ、直ぐに チケットをもらえました。
 船はかなりの速さで走ります。1時間以上は行った所で周りに、同じくホエールウォッチング目的と 思われる船が数隻見えました。そして、クジラがジャンプしたと思われる水しぶきが遠くに見えたでは ありませんか! そして、期待が高まる中、船は速度を落として動いていきます。海面を見ているとクジラの背びれ があちこちに見えています。その中の一つに船は近づいていきました。そのうち尾ビレをバタバタ し始めてびっくり。そして尾びれを大きく動かしたかと思うと海面に丸い波紋を残してクジラは深く潜って行 くようです。そしてしばらくすると、なんとクジラの巨体が海上で踊るジャンプも見られました。 クジラとの遭遇率は、ほぼ100%と言う事でしたが、ジャンプはいつでも見られるわけではないと 言う事でしたので、とてもラッキーだったのでしょう。尾びれのバタバタは何度も続きます。 時折、胸ビレのバタバタも行います。クジラは遊んでいるのでしょうかね?見物人にサービスをしている ようにも見えました。これだけ見応えがあれば、見に来た甲斐があったというものです。 私が持っているデジタルカメラは反応が遅く、最初は波しぶきばかり撮っていましたが、 尾ビレのバタバタは何度も行ってくれましたのでその内写真に収める事ができました。でもジャンプを 撮ることは無理でした。クジラのジャンプを撮影したい・・・と思ったら、良いカメラを持って、 またホエールウォッチングに行くしかないですね。
クジラの背中
尾ビレ(表)
尾ビレ(裏)
 尾ビレ(裏)には、模様が見えますよね。これは人間の指紋のように、クジラ毎に異なる模様に なっているそうです。 この海域には2000頭程度のクジラが確認されており、何と全てのクジラに名前がつけられている そうです。

ニューイングランド水族館
 子供達は高校生になりましたが、水族館は好きで、旅行の計画を立てる時からここに行く事にしていました。 水族館の中央に円筒形の大水槽があり、大阪の海遊館と似た構造です。それもそのはず、同じ建築家の デザインによるものだそうです。海遊館の方が規模が大きいみたいです。 ホエールウォッチングの帰りの船からでしたが、かなりの眠気に襲われました。船酔い止めの薬の せいでしょうか?時差ぼけのせいでしょうか?その両方のせいかな?

クインシーマーケット
 水族館近くにあるボストンでも一番にぎやかと言われるマーケットに行きました。 写真は、マーケットに隣接しているファニュエルホール(会議場)とサミュエル・アダムスの像です。 ここには、店やレストランがたくさんあり、人もいっぱいでした。大道芸人のパフォーマンスも行われていました。 ここに来た時間も16時ぐらいで、このような所は家族が好きなので、かなりの時間をここで過ごす事にな るかなと思っていました。しかし、眠気に襲われているのは私だけではなかったみたいで、家族全員眠さに勝てず、 早々とホテルに帰って休みました。

ショウズ(Shaw's)
 これは観光地ではなく、スーパーマーケットです。とても大きな店です。 私と家内は18時頃目を覚まし、子供達に買い物に行くよと声をかけ起こしますが、眠くて起きませんでした。 仕方が無いので、私と家内で買出しに出かけました。 寿司、サラダ、フライドチキン、カップヌードル、コーンフレーク、牛乳、ジュース、果物、ビール等 たっぷり買い込みホテルに帰って食べます。我家では、外食が続くと特にサラダが人気です。
(写真は、次の日訪れたスカイウォークから撮った店の写真です)
8月14日
スカイウォーク
 ボストンでは2番目に高いプルデンシャルセンターの50階にある展望台。実はそれほど期待していな かった場所でしたが、マサチューセッツ工科大学、フェンウェイパーク等、昨日までに訪れた場所や、 これから行く予定の街角の景色が大変良く見え、感動的でした。やはり高い所は素晴らしい。

中央の大きなビルが、ボストンで最も高いジョン・ハンコック・タワー。その奥に ボストン中心部(ダウンタウン)のビル群が見える。

チャールズ川とその手前に広がる赤レンガの建物群。

チャールズ川の向こう岸に広がるマサチューセッツ工科大学。

レッドソックスの本拠地の球場、フェンウェイパーク。右側には、この後レンタカーで走る ハイウエイが見える。

ニューベリー通り
 数々の趣向を凝らしたディスプレイの店が並んでいる通り。
ニューベリー通り
通りの美しい植込み
紅茶店の前で家内の
買い物が終わるのを待つ私
トリニティ教会
 いかにも由緒正しい教会と言う感じ。隣の総ガラス張りのジョン・ハンコック・タワー(ビル)との 対比が美しい。
トリニティ教会とジョン・
ハンコック・タワー(右)
ボストン公共図書館と
観光用の水陸両用車

 この後、レンタカーを借りました。海外で初の体験。しかも初の右側通行。カーナビが付く車種で最も小さいと言う ミッドサイズと言うクラスを選んでいました。車種例としてトヨタカローラとありましたので1800ccクラスの車を 思い浮かべて駐車場に行くと、そこには大きな車が・・・。乗ってダッシュボードを見回して2度びっくり 「リンカーン」ではありませんか!値段を確認するべきだったのでしょうけど、乗る時は運転の事で頭がいっぱいで した。 車を返した後のレシートを見て気づいたのですが、保険料等を除き、車のレンタル料は79ドル/day(9000円程度)でした から、値段はカローラクラスでした。なぜこのような事に?該当クラスがなかったのでしょうか? 得したみたいです。
 初めて運転する左ハンドルの車。右側通行の道。 これは、何かと同じです。鏡の中の世界です。つまり篆刻の印面の世界に入り込んでしまったのです。 そうと分かれば後は簡単です。印面に布字(ふじ:印面に刻す通りに文字を入れる事。鏡文字になります) する時の要領で運転すれば良いのです。さあ、張り切ってスタートです。
 ただでさえ知らない土地の運転は苦労するのに、ボストン市内は一方通行だらけの町で、極めて運転し難い 町です。でも、カーナビは、一方通行の情報も含んだ形で教えてくれます。表示は英語ですが、 音声は日本語もOKでした。
 車を借りてから、いったんホテルまで戻り、預けていた荷物を受け取ってから、分かりにくいボストン市内 の道とは直ぐにおさらばしてインターステート・ハイウェイ(州間幹線道路)に入りました。
 ハイウェイには道路番号があり、南北方向の道路は奇数、東西方向の道路は偶数になっています。 今回利用したハイウェイは、I−90で、東西方向の道で有ることが分かります。さすがは自動車 の国、道路標識がしっかりしており、道路の番号さえ頭に入れておけばどこにでも行けそうです。
 ハイウェイに入ってから、運転に慣れるまではゆっくり走ろうと思い、最も右側の車線を走っていました。 ところが、急にその車線がハイウェイから出る車線になってしまったのです!気づいてから車線変更 しても良いタイミングだったとは思いますが、その時には余裕が無く、道に沿ってハイウェイを 降りてしまいました。せっかくハイウェイに乗ったのに・・・。再びハイウェイに乗るには どうすれば良いか?ここはカーナビ頼みです。あーやっぱりカーナビ付きにしておいて良かった。 再度ハイウェイに乗って進み始めたのですが、またやってしまいました。最も右側車線を 走っていたらいつの間にかハイウェイを、また降りる事に・・・。なんと言う事でしょう! ここでがっくり来た事もあったのでしょうか、ハイウェイに戻る途中の道の事でした。 狭い道から広い道に出た時、やってしまいました、左側通行!向うから車が来てあわてて路肩に 車を止めました。大事に至らなくてほっ・・・。
 右側通行は、篆刻の印面の世界と思っていたのですが、これは大変な誤算でした、布字はじっくり納得が 行くまで考えて、さらに、試行錯誤して行えば良いのですが、運転の場合は即断即決しなければなりませし、 試行錯誤していては命がいくつ有っても足りません。篆刻的思考の限界を感じてしまいました。
 カーナビに従ってもう一度ハイウェイに戻りました。今度は間違って降りたりしないぞと決心し 3車線の真ん中の車線を走る事にしました。カーナビの使い方が良く分からず、ジェーンさんの住む町に 入ってから一度人に道を尋ねて、ジェーンさんの家に通じる道に出ました。
 緑に包まれた住宅街を進んで行き、住所表記を見ながら探します。そして目印に教えてもらった鉄製の雄鶏 の置物が玄関前に置いてある家を見つけました。目指すジェーンさん宅に間違いありません。 玄関の前に立つと網戸の向うに人影が・・・。ジェーンさんと家内との感動の28年ぶりの再会です。 色々な意味で、とても遠く、大変な道でしたが、今やっと無事にたどりつきました。
感動の再会記念
部屋の中で記念写真
玄関の鉄製雄鶏

 ベランダの脇に液体の入った筒がぶら下げられている。液体は砂糖水だそうで、これを吸いにハチドリが2〜3匹 集まってきています。ハチドリはテレビでしか見たことが無いのにこんなに近くで見る事ができるなんて 思ってもいませんでした。他にも色々な種類の餌が家の周りに用意されていて、色々な鳥が遊びに来ていました。 そんなベランダに食卓を用意してもらって、昔話から(もちろん、ホームステイ時の写真も見せて)今回の旅行の話まで、 おいしい食事をいただきながら話の花を咲かせました。
 ボストンで撮ったデジカメの写真をジェーンさんに見せたいと思っていましたので、カメラの画像を直接 テレビ画像に映すためのコードとUSB接続のカードリーダを持参していました。 テレビの走査方式は日本とアメリカで同じなので映るはずですが、内心、心配でした。 でも、実際につないで見てうまく行ったのでほっとしました。ボストン旅行の写真だけでなく、日本の我家の写真も 見せて大変盛り上がりました。
 旅行の写真の中に、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学の両方のキャンパスで撮ったリスの写真が ありました。リスがたくさんいて面白かった話をジェーンさんにすると、ジェーンさんは、「私達は、 リスは捕まえたりする位で かわいがったりはしない。ねずみと変わらない」との事。そういえば、私達以外にも観光客はその場に いたのですが、写真を撮ったりしている人はいませんでした。 ディズニーに出てくるチップとデールは、可愛いリスとして描かれていると思っていました。しかし、よく考えてみると ネズミ(ミッキーマウス)、アヒル(ドナルドダック)だって可愛いだけの動物ではないですね。

8月15日
 ジェーンさんのパソコンはIMACと言う事は事前に知っていました。IMACでもUSB接続は出来る だろうからとUSB接続のカードリーダも持って行っていました。USBコネクタはIMACにありましたが、 私にはIMACの使い方が良く分からず、ジェーンさんもあまり詳しくはないようで、結局パソコンで 写真を見る事は出来なかったのです。
 朝食後、しばらく笑談していたら、出発予定の時間になりました。再びこの地を訪れる事はないかもしれない と思うとぐっと来るものがありましたが、そんな重たい別れにはしたくはありませんでしたので、来年も また来ますという感じで手を振って出発しました。
 帰りのドライブは順調でした。周りの車を見る余裕が出てきたら、この車(リンカーン)の様に大きな 車はほとんど走っていない事に気付きました。もちろん、大きなトラック等も走っていますが、 乗用車は、ほとんど日本で見かけるような小型車ばかりでした。
 ボストン市内に入り、レンタカーの営業所を探すのにはちょっと苦労しました。市街地を走っている と、カーナビの表示が微妙にずれているので、交差点を曲がり損ねてしまうのです。辺りの景色も 見回しながら、営業所に無事到着する事ができました。今度海外でレンタカーを借りる時には、もう少し 余裕を持って運転する事が出来るかもしれません。でも、都市部での運転はあまりしたくないです。

フリーダムトレイル

フリーダムトレイルの赤い線。ここが出発点。この線に沿って歩いて行きます。

ボストンコモンは、一面芝生で覆われた見事な公園。

公園を抜けると、金色のドームが輝くマサチューセッツ州議事堂。J.F.ケネディは、 ボストン郊外のブルックラインで生まれ、大統領になる前、ここの上・下院議員 として活躍しました。

門が閉まっていて敷地内に入れませんでした。

パーク通り教会は、ボストンの町を象徴する建物です。旅行の前、ボストンと言えば、私はこの教会 の尖塔が一番に頭に浮かんでいました。それ位この教会の写真は良く見かけます。 あいにく工事中で、記念写真もいまいちでした。

グラナリー墓地。ジョン・ハンコック、ポール・リビア、サミュエル・アダムスといった、 アメリカ建国 の英雄達が眠る墓地。ただし、世界史に疎い私には、??と言う感じでした。

旧市庁舎前のベンジャミン・フランクリンの立像。ベンジャミン・フランクリンは、 ボストンの出身。

独立宣言書が読み上げられたのがこの旧州議事堂。その時に、ジョージ・ワシントンが パレードに手を振ったというバルコニーもありました。現在は博物館になっていて、写真は博物館内部 にあった建物の模型。ボストン最古の建物。

ボストン虐殺地跡。 旧州議事堂の直ぐ前にある円形サークル。イギリスが当時の植民地であるアメリカに重税を課していたため、 ボストン市民の不満が蓄積していき、この場所でイギリス兵とボストン市民が対峙した。ボストン市民の 投石、殴打に耐え切れなくなったイギリス兵が発砲し、5人のボストン市民が亡くなった。1770年の 出来事である。この出来事が発端となり、「ボストン茶会事件」、「独立戦争」へと繋がっていく。
 フリーダムトレイルは、まだまだ続いているのですが、 ボストンでもう一つ見ておきたい所がありましたのでフリーダムトレイルの散策はここで終わりにしました。

ビーコンヒル
 ボストンで是非見ておきたい場所がここでした。お金持ちの住宅街です。それぞれの家が豪華さを 競い合っているのではなく、赤レンガという町全体の基本テーマの中でジワジワと染み出してくるような 華麗な雰囲気を漂わせる家々は、歴史の有る町特有なものでしょう。 この町にもセブンイレブンがありましたが、下の写真のように周りの景観に配慮した外観をしていました。

 夕食をどこで取ろうかとレストランを探しましたが、町の中心部なのに行けども行けども 適当なレストランが見つかりません。またコンビニで食材を買い込んで食べるかなとも思いましたが、 今日はボストン最後の日です。ちょっと贅沢をしてでもレストランで食べたいと思いました。 そこで、ちょっと足を伸ばしてリーガルシーフードの本店に行きました。このレストランは水族館前にも 支店があり、入ろうと思ったら人が多くて入店をあきらめたと言う事もありました。この日も人が いっぱいでしたが、松坂の負け試合のTV放送を見ながら、30分以上待ちました。ロブスターの ような豪華なメニューではありませんでしたが、とても美味しい食事でした。
(後日談ですが、この年、レッドソックスはワールドシリーズで優勝しました)
8月16日
 今日はボストンにさよならする日です。振り返るとあっという間のボストン旅行でした。旅行中は 大変涼しく快適な日々でした。
 ローガン国際空港に着いて、出発時の福岡空港での出来事(なかなか発券してくれなかった事)を思い 出しながら空港会社のカウンターに向かいました。カウンターではパスポートを見せてくれと言われ、 パスポートを見せると、Eチケットを見せるまでもなく発券してくれました。 日本と違い実にスムーズでした。
 帰りはシカゴ乗換えで成田です。海のように広いミシガン湖を過ぎたかと思うと、飛行機は着陸態勢 にはいりました。ここで今まで見た事がない光景を見ました。 皆さんは、飛んでいる飛行機の中から他の飛行機が飛んでいるのを見た事がありますか?私は見た事 があると言えばあるのですが、かなり遠くの飛行機で、「あんな所に飛行機が飛んでいる」と言う感じでした。 この時に見たのは、飛行機の窓から、この飛行機と平行に飛んでいる大型の旅客機です。それも結構近距離です。 もちろん、衝突しそうな距離ではありませんが「飛行機が、なんでこんな所に?」と言う感じです。 そして、私達の乗っている飛行機と同じく高度を下げていって・・・そうです。シカゴ空港に同時に着陸 してしまいました。シカゴ空港の巨大さを実感する光景でした。(これって成田や関空でもタイミングさ え合えば見られる事なのでしょうか?)
 シカゴでは預けた荷物を受け取る必要はありませんでしたが、 乗り換え時間はわずかに50分です。急いで搭乗口に向かいました。何とか間に合って飛行機に乗り ましたが、なかなか出発しません。まだかな?と思っていると飛行機に不具合箇所が見つかって修理 しているとの事でした。待つ事約1時間、飛行機は出発しました。1時間遅れで成田に着いたとしても、 もともと2時間15分の乗り換え時間があるので何とか間に合うでしょう。
◆再びエコノミーの客を軽視するキャビンアテンダントの話
 帰りの飛行機でも、私達はエコノミークラスの最前列でした。息子が後方のトイレに行ったら使用中で、 いったん席に帰ってきました。それを見ていたキャビンアテンダントが前方の(ビジネスクラスの)トイレが 空いているよと教えてくれました。おー、同じ航空会社でもやさしいキャビンアテンダントもいるのだな と感心しておりました。ところが、アラスカ上空を飛んでいた時の事です。席に座り続けていると辛いので 私は時々飛行機内をウロウロするのですが、ドアの小さな窓から外を見ると雪に包まれた山々と氷河が見え ました。大絶景!これは息子にも見せてやろうと思い、一度座席に戻りました。家内と一人の息子は熟睡中 でしたので、息子一人を連れて再度窓まできました。 その時、二人のキャビンアテンダントがその窓の前で話をしていました。私が窓を見せて欲しいと頼むと 一人のキャビンアテンダントはどうぞという感じで体をよけてくれたのですが、もう一人のキャビンアテ ンダントは、後方の窓から同じ景色が見えるからそちらから見るように言うのです。実はこの窓は、ビジ ネスクラスとファーストクラスの席の間にある窓だったのですね。それにしてもちょっと見せてくれれば 良いのにと思いました。後方を見るとちょうど飲み物のサービス中で通路が通れな くなっていたので、「いま通行できないので、ここから窓の外を見せて欲しい」と頼みました。 すると、「あなたの席はどこ?」と聞くではありませんか。エコノミー席の者はこちらに来るなとでも 言いたげです。その質問には答えず「ちょっとでいいからこの子に窓の外を見せて」と頼みました。 それで何とか見せてくれましたが、何とも後味の悪いやり取りでした。しかもここまでがんばりましたが、 氷河の風景はもう見えなかったのです。 ビジネスクラスのお客に迷惑を掛ける分けでもないのに、エコノミーの客をそこまで軽視しなくても・・・ と感じました。
氷河の最上流
合流する氷河
海に流れ落ちる氷河


8月17日
 成田空港に到着して飛行機を降りた所に、今利用した航空会社の係員がいて、降りて来た客に、乗り継ぎ 便の案内をしているようです。「福岡行き」の客も探しているらしいので、私達が福岡に行く事を告げました。 飛行機の出発が遅れたので、予定の福岡便に乗るのは相当急いで移動しなければならなし、ひょっとしたら 間に合わないかもしれないとの事でした。間に合わない事も考えて、次の福岡便の座席も用意しているので どうしますか?と聞かれました。次の便だとゆっくり出来ますが、福岡着が22時近くなるので、それから 熊本まで車で帰るのも嫌でしたので、予定の便に乗りたい由話しました。もし、乗り遅れても、次の便を 利用できるとの事、米国の飛行機から日本の飛行機に乗り換える場合、ここまでやってくれるのですね。 (エコノミーの客でも)
 とにかく急いで福岡行きのターミナルへ急ぎました。ここでまたどちらに行って分からなくなったり、遠回り もしながら、途中で2回、人に聞いて何とか予定の便に間に合いました。やっぱり成田空港は分かりにく かったです。アメリカではダラス、ボストン、シカゴの3つの大空港を利用したのですが、迷う事はありま せんでした。
 今回の旅行には、色々な道がありました。旅行を実現させるまでの道、ボストンまでの道、ジェーンさん 宅までの道、そしてボストンの赤い線が引かれた道(フリーダムトレイル)。初めての個人旅行という 事もあり、私にとって、それぞれが迷いながらの遠い道のりでした。しかしそれは苦しいものではなく、 それだからこそ、いっそう印象深い道だったとも言えます。そうですね。これから歩んでいく道も印象深い道にして いきたいものです。
2007年11月
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