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篆刻雑感目次>ドナウ川のさざなみ
ドナウ川のさざなみ
ドナウ川と聞けば、名曲「ドナウ川のさざなみ」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
美しい旋律の中に、なぜか哀愁が漂うこの曲を、私は不思議な感覚で聞いていました。
この旅行によって、その哀愁感が増してしまう事になるなんて、出発前には知る由もありませんでした。
海外旅行ツアーに参加すると、食事の時などツアー同行者と話す機会があります。その時によく話題になるのが、
今までの旅行先です。実際に現地に行った人の感想は参考になります。
もちろんさまざまな答えが返ってくるのですが、「中欧」という答えは比較的多い気がしていました。
それなら、いつかは中欧に行ってみたいと思っていました。
なかなか良くて比較的安価な8日間のツアーを見つけました。ツアーには、4つのオプショナルツアーが用意されていました。
う〜ん、どれも面白そう!きっと良い所に連れて行ってくれるに違いない。そう思って4つのオプショナルツアー全てを
申し込みました。そうなると、自分でどこそこに行く必要がないから、下調べをする必要もあまりないから楽だし、
移動がバスなのでこれまた楽に過ごせる!と考えました。
旅行前に気になる事件が起こっていました。
◆2015年1月7日 フランスの風刺週刊誌を発行しているシャルリー・エブド本社をテロリストが襲撃し12人が殺害される。
(お気楽解釈:テロは西欧で起こっているが、中欧ではあまり起きていない・・・)
◆1月20日 後藤さんと湯川さんが「イスラム国」に拘束される(その後殺害される)。
(我田引水解釈:「イスラム国」は中欧からは離れているから大丈夫・・・)
◆3月18日 チュニジアの首都チュニスのバルドー博物館でイスラム過激派による銃撃事件が発生し、22人死亡、約50人負傷。
(能天気解釈:チュニジア旅行なら中止するけど、中欧だから・・・)
◆3月24日(なんと出発2日前) ジャーマンウイングス9525便がフランス南東部で墜落し、乗客乗員150人全員死亡。
(楽観的解釈:だからと言って旅行中の飛行機の事故の確率が上がるわけではない・・・)
的確な(??)解釈の元、旅行に行く事に・・・。
なお、これは旅行中に添乗員さんから聞いた話ですが、海外旅行をキャンセルする人は、最近かなり多いそうです(^^;
出発前日の25日夕方、両親宅に「明日早朝、旅行に出発するよ」と言いに行きました。
ちょうどテレビのニュースで、ジャーマンウイングス9525便の機体がバラバラになった墜落事故現場の惨状が映っていて、何ともばつが悪い思いをしました。
ちなみにこの時点では事故原因不明で、旅行中に添乗員さんから「副操縦士の自殺行為が原因らしい」と聞きました。
◆2015年3月26日(1日目)◆
タクシーで家を出たのは早朝5時半。コンビニで弁当と缶ビールを買い福岡空港行高速バスに乗り込む。バスの中でビールをグビッ。
ああ、旅行前の期待感でいっぱいの朝ビールは美味い!
福岡からアムステルダムのスキポール空港へ12時間半位のフライト。機内で眠れなくても焦ることなく映画を見ていました。
・Edge of Tomorrow・・・臆病なトム・クルーズが面白い
・蜩ノ記(ひぐらしのき)・・・美しい風景が心に残る
・ベイマックスBig Hero 6・・・ゆる〜いヒーロー映画
スキポール空港での待ち時間が6時間位ありました。
旅行前にネットでスキポール空港を検索すると、美術館、カジノもあって、
100以上の店舗が軒を連ねている・・・とあったので、6時間位退屈せずに過ごせる・・・と思っていました。
ところが現実は、添乗員に連れられて出発ロビー。このエリアには、美術館(しかも現在改装中)
もなければ、カジノもない(カジノに行くつもりはありませんでしたが)、店はあるけど、それほど多くもない。
ひたすら待ちました。夕食のフードコートでは、美味しそうな料理をついつい取りすぎて食べ残しをだしてしまいました。
ウイーン行の飛行機に乗ってすぐにウトウトしてしまいました。ふと目が覚めると窓の外は駐機場でした。
もう着いたのかと思いきや、まだスキポール空港。出発が遅れたみたいです。
多少遅れても今日はウイーンのホテルに直行して宿泊するだけですので気が楽でした。
深夜1時頃にウイーンのホテル着。カードキーで部屋のキーを開けようとしたら、何度やっても開きません。
一度フロントに戻りキーを書き直してもらう。再度開けようとしてもNG。ホテルスタッフを連れてきて試させてもダメ。
スタッフが別のカードキーで開けて、「今夜はこれを使ってくれ。明日ドアの鍵を修理をする」という事で、その日は終わり。
(別に渡されたこのカードキーっていったいなんだったのでしょう?)
◆3月27日(2日目)◆
翌朝シェーンブルン宮殿へ。現地ガイドの案内で宮殿内を回る(写真撮影禁止)。豪華絢爛な室内装飾に開いた口がふさがりませんでした。室内を見て回った後
わずかな自由時間がありました。売店で買い物後、庭園にGO!時間が無くて、宮殿から極近くを慌ただしく見て回りました。
余談ですが、グーグルマップのストリートビューで、シェーンブルン宮殿の部屋の中が見えるんです。結構多くの部屋が見られます。宮殿内部は
広いので、適当にストリートビューを見ていても、大ギャラリー等必見ポイントを見るのは難しいでしょう。
市販のガイドブック等で見たい部屋の位置を確かめながら見る事をお薦めします。
ストリートビューの画像を良く見ると部屋番号(ガイドブックにも部屋番号が記載されてます)が写っていますので、
見ている部屋を確認する事ができます。天上装飾も見逃せません。
もう一つ余談・・・この宮殿の一部は賃貸住宅なのだそうです。
オーストリアに住むことなんてないよ・・・と思っているあなた!ホテルルームもあるのですよ。一泊10万円だそうです。
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シェーンブルン宮殿 |
同宮殿の庭園 |
ベルヴェデーレ宮殿。室内は美術館になっている。とにかく人が多い。中でもクリムトの「接吻」の前は人だかり。撮影禁止なのに平気で写真を撮る人が多数。
係員がいるけど、何にも注意しない。我々の現地ガイドさんが、宮殿の係員に注意を促している始末。ここの庭園も見事。
最上階から見た庭園の遠方(右下写真の遠方中央)には、シュテファン寺院の尖塔が・・・。この後のオプショナルツアーを申し込まずに、ここの尖塔に登れば良かったかな・・・
とちょっと後悔。シェーンブルン宮殿とベルヴェデーレ宮殿を午前中に見て回るスケジュールは過酷すぎました。
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ベルヴェデーレ宮殿 |
庭園のバロック彫刻 |
最上階から見た庭園 |
午後はオプショナルツアー「ウイーンの森観光とバーデン散策」に出発。
「ウイーンの森」とはどんな所なのか?と言う興味がありました。何となく綺麗な森を散策するものと思ってました(^^;
バスで揺られていると、ほどなく森林地帯へ。ウイーンの森と言うのはかなり広い範囲にあるらしい。
約1時間後、マイヤーリングの狩猟館という所に到着。ここがマイヤーリング事件の舞台で、現在は修道院となっている。
マイヤーリング事件とは・・・ハプスブルク家エリザベート皇后の一人息子ルドルフ皇太子(30歳)
と男爵令嬢マリー・ヴェッツェラ(17歳)が心中するというスキャンダラスな事件(1989年)。
この事件を映画化したのが「うたかたの恋」で、
最近、映画「マイヤーリング」としてリメイクされている。
旅行前にDVDをレンタルしようとしたら、「うたかたの恋」は、在庫なし。リメイクされた「マイヤーリング」はオードリー・ヘップバーン
が主演した映画の中で唯一未公開だった作品。それが2014年1月に日本で公開された後、1年位しか経っていなかったので、
レンタルDVD化されていなかった。
ハイリゲンクロイツ修道院。町の名前もハイリゲンクロイツ。1133年に作られた男性のシトー会(カトリック教会に属する修道会)修道院で、
大学も併設され、シトー会修道院としては、最古であり、ヨーロッパで最大規模の修道院。
1188年に公爵レオポルト5世が、キリストの磔刑に使われた聖十字架(ハイリゲンクロイツ)の木片の一部をこの修道院に寄贈した
ことから、ハイリゲンクロイツ修道院と名が付いたそうです。
建物はロマネスク様式とゴシック様式が混在している。観光客も多いが大変落ち着いた雰囲気の修道院でした。
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尖頭アーチの ゴシック様式 |
半円アーチの ロマネスク様式 |
同じ回廊に異なる様式が混在 |
続いて訪れたのは、温泉保養地であるバーデン。バーデンはドイツ語で温泉の意。
ベートーヴェンは、バーデンがお気に入りで、何度も左下写真の家(ベートーヴェンハウス)に滞在し「第九」を作曲したそうです。
中世ペストの大流行が収まったのを記念して建てられたのが右下写真のペスト塔。他の町でも同様のものを見かけました。
短い自由時間しかなく、市場をちらっと見て、後はスーパーマーケットでお買い物が精一杯でした。
やっぱりここは温泉に入らないと十分に楽しめないでしょうね。
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ベートーヴェンハウス |
ペスト塔 |
ツアーの自由行動組との待合せ場所であるウイーンの土産物店に戻る。待合せ時間まで少し時間があって、添乗員さんが
近くにあるホテル・ザッハーに案内してくれました。このホテルのカフェでは、知る人ぞ知るザッハトルテ(チョコレートケーキ)
が販売されているのである。カフェで優雅に食べる時間もないので、小型のザッハトルテを買って帰りました。
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オペラ座 |
ホテル・ザッハー ショーウィンドウの飾り |
観光馬車 |
本日の観光を終え、ホテルに帰る。部屋のドアにカードキーを入れても、緑のLEDがつかない・・・。
もう一度入れてもつかない。あれ〜、おかしいなあ?
試しにドアを押してみると・・・開錠されていました。あれれ??今度はドアを閉じてみたら、ロックされない!!
フロントに電話すると、今、スタッフが自分一人しか居ないので、そちらには行けない、フロントまで来てくれとの事。
来てくれないとどうしようもないなあ・・・と思いながらフロントに行くと、たまたま添乗員さんがロビーにいらっしゃいました。
事情を説明して、一緒にスタッフに何とかしてくれと交渉。結局部屋を変わることになりました。
今日は連泊の2日目で、荷物が部屋に散らばっていましたので、部屋変えは大変でした。
添乗員さんの責任ではないのに、添乗員さんは気の毒そうに何度もお詫びを言われるので、添乗員さんが気の毒になってしまいました。
◆3月28日(3日目)◆
早朝ホテル周辺を散策。小さな公園でネズミ頭の鳩のポスターがありました。「鳩にエサをやると、ネズミにもエサをやる事になる」
と言う意味らしい。なんとも奇妙で面白いポスターでした。
今日観光する予定のチェスキークルムロフ城は、入場観光にはなっていなかったので、塔には登れないかなあと思っていました。ホテルを出発する前に、
添乗員さんに「塔に登れないですかねえ?」とそれとなく聞いてみると、ちょっと無理では・・・という返事でした。
バスに乗り約4時間後、チェコのチェスキークルムロフに到着。この町は世界で最も美しい街の一つと言われている。
大きく蛇行したヴルタヴァ川沿いの大きな城と古い街並みは独特なものがある。確かに美しい街だけど、これくらいの町は他にもあるかも・・・。
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チェスキークルムロフ城 (塔が見える) |
城の敷地内を繋ぐ石橋 |
城の一角からの眺め |
昼食時に、添乗員さんが現地ガイドさんに尋ねてくれて、塔に登れるとの事を聞きました。
自由時間の開始前に、添乗員さんがツアー客全員に「塔に登りたい人いますか?」と聞くと、手を挙げたのは私と家内(しかもしぶしぶ)
だけでした。それでもめげずに、家内を連れて塔に登る事にしました。添乗員さんが入り口まで案内してくれたので助かりました。
塔の上からの眺めは最高!
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とある入り口 (何の入り口??) |
塔からの眺め |
消火栓 |
それから約3時間のバスでの移動。夜になってプラハのホテルに着きました。
バスでホテルの玄関に横付けでしたし、夜でしたので、ホテルの外観は良く見えませんでした。
ホテルロビーに入ると、赤じゅうたんの階段がドドーンとあったりして豪華!
ただ、玄関手前の階段にスロープが完備していないので、スーツケースを持ち上げないといけないのが不便。
さて、部屋の前まで来てカードキーでドアを開けようとしても開かない!
え〜っ、ウイーンでカギのトラブルがあったばかりなのに、プラハでもまたカギのトラブルなのか??
またフロントに行かないといけないのかなと思いながら、カードキーを裏返したり、逆に入れたりしているとやっと開錠。
カードキーに矢印があるのですが、その矢印と逆向きに入れたら開錠したのです。同じツアーの方が隣の部屋に入ろうとしてやはり四苦八苦しておられました。
やはり矢印を逆に挿入したら開錠しました。カードキーの矢印は何のため??
部屋の内装はちょっと古め。ブラウン管テレビが懐かしい感じ。でも、不便はなく過ごせました。
ホテル近くの大型スーパーマーケットの事を添乗員さんが教えてくれましたので行ってみました。
20時頃でしたが、同じツアーの方々も多く行かれてました。
◆3月29日(4日目)◆
今日からサマータイム。早朝ホテルの周辺を散策しました。ホテルの外観はウェブの写真で見ていましたが、実際に見て、
改めてその壮麗さを認識。1950年代に建てられた旧ソ連のスターリン様式建築物の一つで、当時は迎賓館として使われたそうです。
午前中はプラハの歴史地区観光です。先ず、プラハ城に入場。城の中には聖ヴィート教会がドドーンとそびえ立っている。
大統領官邸も城の中にある。政治の中枢が一大観光地になっているのですね。衛兵の行進も見られました。
プラハ城の高台から下りながらカレル橋に向かう。カレル橋はヴルタヴァ川にかかるプラハ最古の石橋。
橋の両側の欄干に聖人像が全部で30体並んでいるのが特徴的。聖人像の中でも有名なのが、聖ヤン・ネポムツキー像で、
台座の図柄を触ると幸福になると言われている。橋の上には観光客が沢山いましたが、いつもはもっと多いらしい。
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カレル橋の端の塔 |
カレル橋の上 |
聖ヤン・ネポムツキー像 |
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カレル橋と高台のプラハ城
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カレル橋から人通りの多い細い道を通り抜け、広くて人も多い場所に出ました・・・それが旧市街広場でした。
時計塔とティーン教会の二つの尖塔が見えました。時計台は、一番下の歴表(金の円盤に12の月を象徴する絵が描かれている)の円盤、
その上に天文時計(天体の動きを示す)の円盤があり、その上の小窓は、正時に12使徒の像が出てくる、からくり時計になっている。
ガイドさんから歴表や天文時計の説明がありましたが、私は塔の上にちらほら見える人影が気になって仕方ありませんでした。
塔に登る時間あるかなあ・・・。
一方、家内は、広場に立ち並んでいるイースターマーケットの屋台が気になって仕方なかったと思います。買い物の時間あるかなあ・・・。
ボヘミアンガラス店に連れていかれ、ここでお買い物タイム。・・・ですが、私達はすぐに店から抜け出しました。
家内はイースターマーケットの屋台に突進していきました。私はその勢いに流されず、一人で時計塔に向かいました。
時計塔の中は近代的なエスカレーターで、楽に登れました。やっぱり登って良かった。素晴らしい眺めです。
登っている時に11時ちょうどになり、カランカランと鐘が鳴り始めました。
からくり時計がここからでは見えないので、仕方なく、からくり時計を見ている人々を上から眺めていました。
下に降りてから、広場のマーケットに行き家内を探しましたが見つかりませんでした。やがて集合時間が来て、集合場所のボヘミアンガラス店で家内と再会。
食事後、オプショナルツアー「世界遺産クトナーホラ観光」。バスに乗り一時間程でクトナーホラへ。チェコは、かつて銀が沢山取れ、銀貨の鋳造が盛んであった。クトナーホラはその中心地として、
プラハに次ぐ程の繁栄を誇ったそうだ。
聖バルバラ大聖堂は、市民の寄付によって建てられたという。
町が繁栄していた証拠であろうし、とても危険な仕事に従事する鉱夫達の心の拠り所が必要だったとも言えるだろう。
イタリアンコート(イタリア宮廷)は、旧王宮でイタリアから技術者を招き造幣局としても使われた建物。
建物の一部は資料室になっていてそこに入場。
建物の模型、十数枚の硬貨、銀貨表面に打刻して模様を付ける道具、銀貨運搬用箱があるだけ。
ちっとも見ごたえがない資料室でしたが、いっちょまえに写真撮影禁止。
しかし、銀貨の説明はとても興味深いものでした。
クトナーホラの銀は枯渇していくが、同じくチェコのヤーヒモフで銀が盛んに採掘された。その銀貨は
ターラー(thaler)と呼ばれ、品質が良かったので、ヨーロッパ中で使われるようになった。
良貨の意味を込めて一般名詞化しヨーロッパ各国で通貨名としても広まった。
さらには、米国等で使われているドル(dollar)という名前は、ターラー(thaler)から来ているそうです。
チェコの銀貨は世界の通貨の起源とも言える位、凄い物だったのですね。
イタリアンコートの入口付近の掲示物は、入る時にはほとんど気にも留めていなかったのですが、
説明を聞いた後で見てみるとチェコ貨幣の模様のライオン(チェコの国章にも同じ模様がある)が誇らしげに立ち上がっているように見えました。
クトナーホラと言えば、骸骨装飾のセドレツ納骨堂も有名だが今回のツアーでは行かなかった。
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聖バルバラ教会 |
聖バルバラ教会の天井 (寄付者の紋章が沢山) |
イタリアンコート入口掲示物 (チェコ貨幣の模様) |
自由行動の人達とボヘミアンガラス店で再集合。店を出る時に18時ちょうどになり、からくり時計が動き出しました。ラッキー!
12使徒の像が、窓から次々に顔を出して行き1分位で終わりました。あまり大したことないなあ・・・。
17世紀に出来たからくりが、現在まで残っているという意味で素晴らしいのは確かですがね。
久留米から来られた人が「JR久留米駅前のからくり時計の方が良いよ」と言われてました。
今回参加したHQ社のパンフレットの日程表に「プラハ城を望む夜景スポットへご案内」と大々的に書いてあるので、
夕食後にバスに乗って夜景スポットに連れて行ってくれるのかと思っていました。しかし、実際は、
旧市街からバスの乗り場へ歩いて行く途中に「プラハ城を望む夜景スポット」があるんですね
(旧市街の中に観光バスは乗り入れられないのでバスの乗り場まで結構歩く)。
まあ、嘘ではありませんが、このパンフレットは誇張しすぎでは?
「夜景スポット」には、日没前に着いてしまいましたので、夜景とは言えない状態でした。
添乗員さんは、今日からサマータイムが始まったので1時間日没が遅くなったために・・・と言い訳していました。
サマータイムくらい、ちゃんと考慮してスケジュールを組んで欲しいものです。
まあ、くたびれた身にとっては早めのホテル到着も良かったですけどね。
◆3月30日(5日目)◆
早朝ホテル周辺を散策。昨日とは違う道を選んでホテルの裏手に回ってみると、少し高台になっていました。
そこにはサッカー競技場があり、その入口付近にスター選手と思われる人物の彫像がありました。
彫像の台座に銘板があり、多分その人物の名前が書いてあると思うのですが、チェコ語みたいですし、人物の名前が分かりません。
そもそもチェコのサッカー選手の名前を一人も知りませんので・・・。
銘板を写真に撮っておいて、帰国してからネットで調べました。
彫像の人は、ヨゼフ・マソプストと言う選手で、1950〜60年代のチェコスロバキア(当時)を代表するサッカー選手。彫像なのにボールだけ
本物(?)なので、変だなあ・・・と思っていましたが、なんと半月前(3月16日)に、彫像のボールが盗難にあったばかりとの事。
直ぐに修理するような事も書いてありました。
代替のボールを触っている所を写した極めて珍しい写真になったようです。
プラハ市内の交通渋滞を避けるために、30分早くホテルを出発。
市街地で渋滞する事はなかったのですが、高速道路をしばらく走ったところで、なんと突然の渋滞。
前方に延々と車の列が続いているのが見えました。事故でも発生したのでしょうか。運転手がどこかに電話で聞いていましたが不明との事。
しばらくすると、少しずつ動きだしました。工事で車線が少なくなっていたのが渋滞の原因だったようです。幸い旅行のスケジュール
に支障をきたすような遅れにはなりませんでした。途中、高速道路の上を横切る道や歩道橋の上に人だかりが多く見られました。対向車線
に何か通るのかなあ?と思っていると、米軍の車列が通って行きました。どうやらそれを見るための見物人だったようです。
これでチェコを出国したわけですが、旅行中に保険証書の提示を求められる事はありませんでした。
なぜそんな事を言うかというと、チェコに無査証渡航する際は、治療・傷害・死亡の各項目において、それぞれ3万ユーロ相当以上の保険に入る事が義務付けられているのです。
添乗員さんに「保険証書の提示を求められる事は無かったですね」と話すと「今回は無かったですが、実際にバスを止められて提示を求められた事もありました」という事でした。
スロバキアの首都ブラチスラバに到着。ブラチスラバ城は小高い山の上に建っていて、その外観から「ひっくり返したテーブル」と呼ばれています。
城内は歴史博物館になっているらしいですが入場は無し。
城の前の展望台は眺めが良いはず(オーストリア、ハンガリーも見えるはず)・・・なのですが、小雨で煙っており、遠くは良く見えませんでした。
ミハエル門は、下部はその名のとおり門になっているのですが、上部は(私に言わせると)立派な塔です。
添乗員さんに「登れますかねえ」と聞いて見たら、「あれは武器博物館です」って、そっけなく言われました。
添乗員さんは「もう勝手にしてくれ」と思っていたでしょうね。
ガイドブックの情報で、私もミハエル門は武器博物館であることは知っていました。
武器の展示にはあまり興味なかったのですが、同じくガイドブックに「最上部のテラスから旧市街が展望できる」と書いてあったのです。
食事と旧市街観光の後、わずかな自由時間がありました。ここで、アタックチャンスが到来です。
早速小走りでミハエル門に行き、入り口のドアを開けようとしました・・・。ところが、開きません。
本日(月曜日)は休館日だったのです。万事休す・・・。後は家内の買い物に付き合った後、集合時間になりました。
ブラチスラバの旧市街には、所々に彫刻があります。その中でも左写真の「見つめる君」は一番人気で、写真を撮る人に取り囲まれていました。
旧市街の街並みや所々にある彫刻を眺めながらバスの乗り場まで歩いて行きました。
バスに揺られること約3時間。ブダペストのレストランに到着。店に入ると「上を向いて歩こう」が聞こえてきました。
アコーディオン、バイオリン等の流し演奏があっていたんです。「美しき青きドナウ」・・・そして、待ってました「ドナウ川のさざなみ」。
美味しい食事に花を添えてくれました。
ブタペストの夜景が見えるゲレルトの丘に到着。おお、素晴らしい。
やっぱり高い所から眺める景色は素晴らしい。
これくらい素晴らしいなら、パンフレットの強調表示にも納得です。
ブダペストは温泉の町。ホテルにも、温泉プールがあるのです。部屋で水着に着替えて、部屋にあったタオル地のガウンを着ました。
さてここでちょっと困りました。部屋にスリッパは置いて無いし、サンダル類も持って来てなかったのです。
仕方がないので、ガウンに皮靴を履いて・・・というマヌケな格好で温泉プールに向かいました。家内は部屋でお留守番。
泳げる位深いプールはちょっと水温が低いので入っていられませんでした。夕食後に泳ぐ気にもなれませでしたしね。
ジャグジーはぬるめの温泉みたいで気持ち良くて、しばらく浸かっていていました。
でも上がってロッカールームに行く間に寒さを感じてしまいました。これではたまりません!サウナに入ってから上がりました。
◆3月31日(6日目)◆
早朝、ホテル周辺、ドナウ川沿いの道を散策。とても清々しい。朝食後ブダペスト観光に出発。
先ず、聖イシュトバーン大聖堂に行く(入場はなし)。
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早朝のドナウ川 |
聖イシュトバーン大聖堂 |
ドナウ川を渡ってバスを降り、漁夫の砦を眺めながら階段を登って行く。ドナウ川の対岸には国会議事堂がその壮麗な姿を見せている。
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漁夫の砦 |
国会議事堂 |
マーチャーシュ教会は内部がとても綺麗。
教会の中にいる間に突然コーラスグループが歌い始めてびっくり。後で添乗員さんから聞いて知ったのですが、
教会とは直接関係ないコーラスグループだったらしいです。とても良い雰囲気の歌でしばらく聞き惚れていました。
その後教会近くのお店でお買い物タイム・・・なのですが、入る雑貨店は一度に一グループしか店内に入れないようにしているようで、
私達ツアーグループが中に入るまでしばらく待たされました。しばらくして西洋人らしきグループがぞろぞろ出てきた後に入店。
ワインの試飲とか、チョコレート菓子の試食もあったのは良かったです。
でも扉は閉ざされ、他の客はシャットアウトして、私達は店内に閉じ込められたような感じでした。
このような店に寄るから安いツアー料金になっているのでしょうね。
押し売りみたいな事は一切なく、ただ店内をブラブラしていればそれで済むことですけど、買い物があまり好きでない私にとっては、ちょっと嫌な気分の時間でした。
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マーチャーシュ教会と 聖イシュトバーン騎馬像 |
教会で歌う コーラスグループ |
教会内部 |
昼食後、オプショナルツアー「ドナウベントの美しい街観光」。
「ドナウベント」とは、「ドナウの曲がり角」の意味。
ハンガリーとスロバキアとの国境を西から東へ流れていたドナウ川がここでほぼ直角に曲がり南へ流れる。
バスに乗って、ブダペストの北西、約40kmに位置するエステルゴムへ。
小さな町(人口3万人)に不釣り合いな大きな聖堂がある。
エステルゴムは、1000年に建国されたハンガリー王国最初の首都であり、
エステルゴム大聖堂は、ハンガリー最大で、今でもハンガリー・カトリック教会の総本山なのである。
なるほど・・・聖堂の大きさに納得です。
大聖堂に入ってすぐに、現地ガイドさんが「ここから上に登れます」と言われました。
添乗員さんの手前、ちょっと気が引けて「登りたい」と言えずにちょっと後悔。
大聖堂の裏手にまわるとドナウ川を見下ろす事が出来る。川の対岸はスロバキア。
ものすごい風で吹き飛ばされそうでした。大聖堂の上に登ったら、この風で本当に吹き飛ばされていたかも・・・。
次に訪れたのはセンテンドレという小さな町。小雨が降る中での観光でした。
わずかの自由時間に出来る事は、ブラブラ歩いてお土産物屋を覗く事くらい。
途中、小さな美術館に気付きましたが、どんな美術館なのか分かりませんし、あまり時間もありませんでしたので、入って見る気になりませんでした。
帰国後WEBで調べて知ったのですが、ここは芸術の町で、小規模ながら美術館が沢山あるという事。
ちゃんと下調べをしていれば、もっと楽しむことができたかもしれません(自由時間も必要ですが)。
ブダペストに戻り夕食。その後オプショナルツアー「ドナウ川ナイトクルーズ」。夜景がきれいな区間を往復します。
最初はオプショナルツアーを全然申し込んでいなかったが「添乗員さんから薦められて、このオプショナルツアーだけは申し込んだ」
と言う人もいらっしゃいました。
クルーズにはワンドリンクの無料サービスがあり、
添乗員さんお薦めの(メニューの中で一番高い)シャンペンを注文しました。
シャンペンはググッと飲み干して船のデッキに出て夜景鑑賞に集中しました。
ドナウ川のさざなみの音楽が流れる中、船は川を進んで行きます。あいにくの小雨でしたが、景色は、はっきりと見えました。
往路はカメラのシャッターを夢中で押しました。動いている船の上で、暗い被写体を撮るのです。
私のコンパクトデジカメでは手ぶれがひどいですから、下手な鉄砲よろしく、何枚も撮りました。
復路は景色を目に焼き付けておこうと思い、見る事に専念しました。
くさり橋、ブダ王宮等、きれいな夜景が続くなかで意外な建物に遭遇・・・ルービックキューブを発明したエルノー・ルービックは、ここブダペスト工科経済大学の教授だったんですね。
ああ懐かしや、ルービックキューブ・・・初めて見る大学の夜景になぜか懐かしさを感じるのでした。
圧巻は国会議事堂。今まで見た最も美しい建造物は何か?と聞かれたら、迷わず「ハンガリーの国会議事堂」と答えるでしょう。
あ〜あ・・・国会議事堂の中にも入ってみたかったな・・・。
ドナウ川のさざなみが聞こえる中、今日で中欧の観光も終わりです。
ウィーンで美術史博物館に行きたかったな。プラハで市民会館のカフェに行きたかったな。
そしてブダペストで国会議事堂に・・・ああ、そんな思いが沢山、ドナウ川のさざなみにかぶさってきました。
「ドナウ川のさざなみ」の哀愁感は、私の中で、こんな感じで強まっていったのでした。
◆4月1日(7日目)◆
今日は帰国日。朝は何と3:30出発。朝食の代わりにサンドイッチ等の入った袋をもらいました。
前日、添乗員さんから
「ブダペスト空港から出発する際は、貴重品は手荷物にしてスーツケースに鍵を掛けないで」と言うアドバイスがありました。
鍵が壊されて中身の金目の物が抜き取られるという事が頻発しているそうです。お土産のお菓子とかには見向きもしないらしい。
とにかく鍵が壊される被害を防ぐために「鍵を掛けないで」と言う事らしいです。
旅行会社は航空会社に再三再発防止を依頼しているのに、なかなか取り合ってくれないとの事。
私達はスーツケースの中身には貴重品は入れないので添乗員さんのアドバイスに従いました。
スーツケースが盗難目的で開けられるなんて気持ち悪いです。早くこのような事態が起きないようにして欲しいものです。
空港に着いたら添乗員さんから自動チェックイン機を使うように言われました。ところがこれがくせもので・・・。
タッチパネルの反応は遅いし、パスポートの読み取りが出来ない端末があったり、10桁を超える長〜い航空券番号を間違えるし
(間違う事がある人間に、eチケットの小さい数字を読み取らせ、あまりにも長い桁数を入力させるシステムが悪い!)、
最後まで入力出来たと思ったら「チェックイン出来なかった」というようなメッセージが出てくる始末。
も〜これは、悪い自動チェックイン機だ!
添乗員さんにかけあってもらって有人のチェックインカウンターでチェックインしました。
飛行機の中で朝食を食べようかと思っていたら、飛行機の座席が非常口の所で、前の座席の下に入れたらダメで、荷物を頭上の収納棚
に入れないといけなかったし、家内と席が離れてしまった事もあり、食べそこなってしまいました。
でも、機内でサンドイッチが出てきてお腹が減って仕方がないという事もありませんでした。
アムステルダムのスキポール空港に着くときれいな虹が出ていました。
乗継便が出るまで5時間以上もあり、この時間でアムステルダム市内車窓観光とダイヤモンド工場見学へ無料で案内してくれました。
ダイヤモンド工場では、案の定、参加者を一室に集めてダイヤの品質と価格の説明がありました。
1個800万円するというダイヤも見せてくれました。
日本で買うよりは、かなりお安くなっている・・・らしいです。
工場の一角には、売店があり、普通のお土産品も売っていました。ダイヤは買わなくても、ここで買い物する人は多かったです。
空港へ行く前に風車がある所にも寄ってくれました。
帰りの飛行機の中で中欧の魅力について考えました。中世の面影を残す旧市街はとても魅力的でした。
でも「古いものが残っている」だけでは、人を引き付ける魅力に欠けるでしょう。
「古くて良いものが残っている」からこそ、人は引き付けられるのでしょう。
日本の伝統文化の一つである書道に関してはどうでしょうか?現代人が文字を書く機会はすっかり減ってしまいました。
書道人口も減少していると言われています。しかし、書道の素晴らしさは疑いないものと思います。
自分自身では書道をしなくても、書道は良いものと思ってくれている人は少なくない気がします。
「古くて良いもの」の一つである書道も残して行けば、将来にわたって人々を魅了し続けるに違いありません。
しかし、良いものだからと言いって、そのまま残せばそれで良いと言うものではないでしょう。
プラハの時計塔は外観は保存されていても、内部には近代的なエレベーターが備えられていて観光客に優しい塔です。
書道の魅力はそのままで、愛好者に優しい環境を整えて行く必要があるでしょう。
現状を変えて行かねば、書道界はさらに厳しい現実に直面するかもしれません。
非力な私は、これと言った妙案を思いつきません。小さな工夫を積み重ねていくしかないでしょうかね。
国際線搭乗中の恒例、映画鑑賞
・舞妓はレディー・・・パロディ満載!踊りが楽しい!
・ホビット 龍に奪われた王国・・・また〜っ!こんな所で映画終わるの?
それにしても、今回の旅行は、下調べ不十分の上に、オプショナルツアーに頼りすぎて、
あれも見たかった・・・といった心残りが多い旅行になってしまいました。
オプショナルツアーに行ってなければ、オプショナルツアーに行けば良かったと思うかもしれませんけどね。
4ヶ国(おまけのオランダを入れると5ヶ国)巡り8日間と言っても、往復の飛行機移動に3日間かかりますから、
実質5日間で4ヶ国なのですから、超つまみ食い旅行にならざるを得ないです。
中央ヨーロッパは、そんなものでいいかな・・・と思った自分が浅はかでした。見どころ沢山の中欧。恐るべし中欧。
せめて2ヶ国巡りくらいにして、丁寧に見て回るべきでした。
そして、ちゃんと下調べしてから旅行するべきだなあと、つくづく感じました。
2015年9月 記
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