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千と千尋の神隠しに関する一考察

 宮崎駿監督の千と千尋の神隠しは大ヒットの様です。私も子供を連れて見に 行きました。実は、最初に見に行こうとした時は、あまりの人出の多さで1時間半待ち と聞かされ、諦めて、でも、子供には映画を見せに連れて行く約束でしたので、 直ぐに見る事が出来たジュラシックパークVを見せて誤魔化しました。子供もそ れなりに喜んで見ていましたのでやれやれと思っていました。でも、一緒に映画を 見ていない家内が子供に映画の感想を聞くと、「恐竜が人間をガブリンコして終 わりだった。」と言ってましたので、今一だったのかなと思っていました。

 子供や家内はそれぞれの友達から、千と千尋の神隠しは面白かったと言う話を 聞かされ、また見に行くようにせがまれてしまいました。仕方ない(本当は私も 見たかったので)また、連れて行くことにしました。今度は、昼間の混雑する時 間帯を避けて、夜の7時からの上映 を見に行きました。チケット売り場には人が並んでいましたのでちょっと心配し ましたが、ゆっくり座ってみる事が出来ました。

 さて、この物語のストーリーや主題に関しては、ここで述べるつもりはありま せん、篆刻のホームページにふさわしい事(?)に関する2つの点に関して述べ てみたいと思います。

 さて、一点目は、主人公の「荻野千尋」の名前が奪われるところです。これは 予告編の中でも出てきました。不思議の町の支配者である魔女と、仕方ない事情 のもとで、千尋は労働契約書(?)にサインします。魔女は、そのサインから 「荻野 尋」の文字を剥ぎ取ってしまい「千」の字だけを残します。そして、 「今日からお前の名前は『千』だ」と告げます。これは、人間としてではなく 、魔女の下で働く他のいろいろな化け物の仲間として働けと言う一種の呪縛だと 感じました。文字に込められた呪縛・・・、おどろおどろしい文字の霊力さえをも 感じられます。

 しかし、千尋は、そんな呪縛に縛られるどころか、やさしさと勇気をもって 化け物達と接し、助け合い、また化け物を立ち直らせる事すら行ってしまいました。 そして、ついには不思議の町を脱出する事が出来ます。そんな千尋に思わず喝采を 送りたくなりました。それにしても、千尋の両親の頼りない事・・・。

 もう一点は、不思議の町で千尋がもっとも頼りにしていた少年が姿を変えた龍 が苦しんでいたシーンに関してです。龍はもがき苦しみ瀕死の状態でした。千尋は 必死で救おうとします。千尋は神様からもらった薬を龍に飲ませます。龍は口から ある物を吐き出しました。それが、何と鈕付きの印でした(鈕【ちゅう】:印の つまみの所の獅子等の彫り物の事)。何だか訳の分からない虫も一緒に居ましたけど。

 この印に何と刻まれていたのかは定かでは有りませんでしたが、やはり所有者 の名前だったのだろうと私は思いました。怖いですね。やはり印には魔力がある のでしょうか?少なくとも宮崎駿監督はそんな事を思っているのではない でしょうか?

 帰りの車の中で、私が「ほらね、篆刻は大事な所で出てきたでしょ」とその話を すると、子供が曰く「石を飲み込んだから、お腹が痛くなったとよ」。そうね、 何で飲み込んだのでしょうね。飲み込まなければ体を壊す事無かったでしょうにね。


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