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平成28年熊本地震
地震の前に音が聞こえるのです。ゴゴゴゴゴ・・・大型トラックが近づいてくるような、低い音なんです。 最初は気のせいかな?と思っていましたが、何度も繰り返される余震の前に同じような音が聞こえるので、だんだん確信してきました。 私には地震の予知能力があるのか!? ネットで調べてみたら、人体が揺れを感じるS波の前に来るP波は空気中でも伝わるので、その音が聞こえる事があるそうです。 なあ〜んだ・・・。 地震の前の音は聞こえない時もあるし、その音が聞こえたとしても、確信が持てないうちに(1〜2秒後に)地震が来るので、あまり役にはたたないですねえ。
◆4月14日21時半頃
録画していたテレビドラマ「ラブソング」の第一話をのんきに見ていました。吃音のヒロインが「500マイル」をポツポツと歌っている最中にドーンというような地震発生。 食器棚が倒れて大きな音とともに台所中が食器の破片だらけになりました。家内と私は、居間にいて無事でした。 長男はまだ会社から帰宅していません。 隣の実家の様子が気になって見に行くと、実家の台所も食器棚が倒れていました。母を呼ぶと返事は聞こえても、姿は見えない。 間もなく食卓の下から母が姿を現し、怪我一つしていなかったので一安心。 父は入浴中でした。私が「大丈夫?」と声をかけると「ぎゃんところ(こんなところ)まで風呂の湯が波立ったぞ!」と、台所の惨状からすると、のんきな返事。 実家の台所を片付け中に長男が帰ってきた。航海中の次男からも電話があった。 倒れた食器棚を元に戻し、散乱した食器等をざっと片付けた。台所のテレビは転倒し、画面にヒビが入っていた。 その後自宅に戻り、こわごわ自分の書斎を見てみる。本棚が倒れ、足の踏み場もない。 自宅の台所の片付けを進めて、午前2時頃就寝。余震があるものの、だんだん落ち着いて行くだろうとたかをくくっていました。
書斎の惨状
(災害は忘れた頃にやって来る)
◆4月15日(1日後)
交通機関に乱れが生じているらしいので、17日に予定していた習研の熊本研修会を5月8日に延期する事にしました。 熊本県連の会長と分担して関係者に電話連絡。
食器棚や本棚の固定は近日中にやろうと思って、とりあえず棚からでた食器や本を片付けた。昼過ぎには、ざっとだけれども一応片づけを完了した。
LPガスのボンベが傾いているのに気付く。固定くさりがなかったら、間違えなく倒れていたことでしょう。 一応、使用していない時には、ガスボンベの元栓を閉めておくことにした。夕刻、ガス屋さんがガスボンベの点検に来られた。 何も頼んでいなかったのに来てくれて心強い。
家の中で余震を気にするよりも外に居た方が気楽な気もして、夕方は草取りをした。 草取り中、隣の新築の家の人と話す機会があり、近くの道で液状化現象が見られた話を聞いた。 我が家の庭にも液状化により、砂が噴出してきた場所を見つけた。
庭に現れた液状化現象
◆16日(2日後)
未明1:30頃再び強い地震。しかも長く揺れる。津波が来る??慌てて家の外へ出て、避難も考えて両親を車に乗せた。 そのうち津波は大丈夫の情報があり、家に留まった。 少し落ち着いて、家の中を見ると食器棚と本棚は再び倒れていた。昨日の惨状が再び目の前にあった。「ふりだしにもどる」・・・もう、笑うしかなかった。
再び書斎の惨状
(災害は忘れる前にもやって来る)
明け方まで家で寝た。 余震が多い。水の出が悪い。台所から出る水が多少濁っている感じだったが、水をペットボトル等の容器にためる。
夕方長男がたまたま牛肉を買ってきていたので、なんでこんな時に?と思いながらも焼肉を楽しむ。 食器棚が二度倒れ、多くの食器が割れたが、当面の食事には困らない位の食器は残ってくれた。 本棚も二度倒れ、その度に本が散乱したが、意外な事に傷んだ本は極一部だった。
この夜から車で寝る。多くの皆さんは一回目の地震後から車の中で寝ていたそうです。我々はちょっと不用心だったかな。雨が降る。
◆17日(3日後)
朝から断水。実家に有った20リットル以上入るポリ容器二つの他、叔母と姉宅の容器も持って、画図の家内の親戚宅に水汲み。ここには自噴井戸がある。 本当にありがたい水でした。
食器棚と本棚の片付けは、棚の地震対策を行ってからする事にしたので、緊急に行う事はなくて、午後篆刻の印稿作りをする。 作成途中にも時折余震が何度も発生。その度に玄関へ向かう。そんな中断があっても、印稿は少しづつでも完成に近づいて行く。 篆刻は制作の中断には比較的強い。さらに、ほんのわずかな水しか使わないので、篆刻は断水にも強いのです。
◆18日(4日後)
水道から水が出始めるが、水圧が低いため、出が悪い。同じ家の中でも蛇口の高さが比較的低い洗面所の水は少し出るが、蛇口が高い台所からは全く出ない。
近所の道にあるマンホールのふたの穴から水が噴き出していて、誰もが自由に水を汲んでいた。 きっと、こんな場所が何ヵ所もあって、水道局もすぐには対応出来ないのでしょう。
マンホールのふたの穴から噴き出す水
◆19日(5日後)
結構強い余震が発生し続ける。まだまだ落ち着かない。台所の水道からも少し水が出るようになる。 5月8日予定していた習研の研修会の会場も被災して、研修会が開催できなくなった事が分かる。
夜、録画していたテレビドラマ「ラブソング」の第二話を見た。ヒロインが「500マイル」を歌っている最中に結構強い余震が発生。 それだけ余震の頻度が高いという事でしょうけど、この歌を聞くと地震を思い出しそうです。
◆20日(6日後)
余震が続く。床や地面がいつもゆらゆらと揺れている感じがする。この感覚は私だけではなく、他の人も同じような感覚におそわれると言ってました。
食器棚等の地震対策をしようと思って、近くの金物屋に向かったが閉店中。その近くに牛丼のS屋があり、営業中なのを見て思わず入ってしまう。 牛丼、カレー、味噌汁だけが販売中。牛丼は店内で食べる人にも持ち帰り用容器に入れて出てくる。 近くのファミレスは閉まっているのに、良く営業しているなあと感心する。
近くの大型ホームセンターは二店とも被災して、通常の営業はしていなかった。 それで、車で40分位のホームセンターDイキ天水店まで地震対策グッズを買い出しに。トラックの通行量がやたらと多い。特に帰り道、車の渋滞が激しい。 この道が渋滞しているのは初めての経験だ。帰宅後、食器棚と本棚の上部を天上の廻縁とワイヤーで結ぶ地震対策を行う。 ワイヤーはステンレス製1mmφ。細いですが、ワイヤー1本で耐荷重80kg。ヒートン(止め金具)の方が先に抜けてしまうかもです。 天井の廻縁だって、どれだけ強度があるか分かりません。しかし地震対策をしないよりは、はるかにましになったはずです。 写真は地震の前から転倒防止用突っ張り棒をしていた本棚。この本棚は地震で倒れませんでした。
突っ張り棒をしていた本棚
さらにワイヤーで天井の廻縁と結ぶ
地震後、本棚が傾いた跡が壁に残っていた(見にくいですが、写真の矢印の所)。突っ張り棒がなければ、この本棚も倒れていたことでしょう。 しかし、天井板が少し押し上げられていましたので、天井裏から天井板を釘づけしました。 この本棚にもワイヤーの地震対策をしましたが、突っ張り棒はそのままにしておきました。 風呂場のタイル床の周りにヒビを見つけたのでコーキング(タイルの目地修理)も行う。 太陽熱温水器に残っていたお湯を使ってお風呂に入る。まだ水道の水圧が低いので温水器は空になりました。
◆21日(7日後)
午後ようやく書の稽古をはじめた。普段の生活を取り戻しつつあるが、まだ余震が続く。地震に慣れっこになってきている。ある意味怖い。
◆22日(8日後)
とある用事で伺ったY様宅は、しゃちほこもある立派な屋根が、かなりの被害を受けていた。
実家の台所用テレビを購入、設置。実家の食器棚地震対策。
今日から車中泊をやめて、自宅で寝る。
◆5月になって、このHPを作っている最中にも余震が発生している。 5月14日現在「震度1以上の余震は1430回を超えた」と発表されている。 余震の頻度は少なくなってきているので、このまま収まってくれるのではないかと期待しているが、「今後最低1か月は最大震度6弱程度の余震に注意」 とも言われているので、ユメユメ油断するなかれ・・・でも、地震に注意が必要と言われても、期間が長くなると、油断してしまいそうです。
片付けが終わった書斎の写真も有ってしかるべきなのですが、お見せできるような書斎ではないのでご勘弁を・・・。
今回の地震で、我が家は、部屋の中こそ、食器棚と本棚が倒れて悲惨な状況になりましたが、家自体は二度の強い地震に耐えてくれました。 そんな家がいとおしく思えて、平常時、感謝の念が足りなかった事が恥ずかしく思えてきました。 テレビ等では被害が大きい地域が中心に報道されていますが、私が住んでいる地域は比較的被害が少なかったと言えます。 何事もない平穏な日々がどんなに幸せな事なのか、かみしめながら生きていきたいとつくづく感じました。
災害は、忘れる前にも、忘れた頃にもやって来る。
2016年5月 記
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