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富士登山の巻

 富士登山の記念品として、金剛杖があります。もちろん登山に使う杖なのですが、 山小屋等で焼印を押してもらう事が出来、記念品としての価値が上がります。
 ポイント1・・・印を押すと、価値が上がる。

 そう言えば、我が故郷に近い阿蘇でも焼印を見た事がありますね。でもこれは、牛の胴体に、持主等の焼印がしてあるもので、かわいそう。
 ポイント2・・・印は、持主を示す。

 西洋にも同じような物があります。洋画等の中で手紙を書き終えた後、手紙を封書に入れ、封のとじ目にロウを溶かして落とし、その上から、模様の付いた印を押すシーンを見られた事はありませんか?ロウの上には簡単に真似の出来ない模様が付いていますので、一度封を開けてしまうと、ロウが壊れてしまって、手紙が誰かに見られてしまった事が分かります。
 ポイント3・・・印は、信を示す。

 さて、古代中国にも同じ様なものがありました。粘土に印を押して封印としたものです。白文印を押しますので、出来上がった封印(封泥と呼びます)は朱文印になっています。また、印の周辺が面白い形をしています。近代中国の名人もこの影響を受けていますし、現代でも封泥風の印を作る事があります。左は拙作の一つです。

   過去に富士山に最接近したのは、高校の修学旅行の時で、五合目までバスで行きました。いつかは登りたいな、と言う思いで、その場を後にしました。

 時は流れ・・・そんな事は忘れてしまって、入社してからの東京方面出張の折、飛行機の中から富士山を見ました。熊本から羽田に向かう時は遠くから富士山の長い裾野を一望する事が出来ます(もちろん、とても天候に恵まれた時のみ)。羽田から熊本に帰るときは、富士山のお鉢の中を覗き込むような角度から見る事が出来ます。富士山は、頭を雲の上に出していますので、天候が悪いときにもあきらめずに窓の外を見ていると見える事があります。また、羽田から熊本行きの飛行機から月明かりの中で見た雪景色の富士山の姿も忘れる事が出来ません。

 いつかは、富士登山を・・・、子供が中学2年、小学6年の今、家族登山には絶好の時期と思いました。私と家内の体力もこれから落ちるばかりでしょうから、今のうちに登りたいと思いました。子供達も富士登山に興味を示しましたので、なおさらその思いを強くしました。ただ、家内はもっと景色の良い山に登ったら?富士山は岩ゴツゴツなんでしょう?と、あまり良い顔をしません。私が行くのなら仕方ないと言う感じでした。

 一日の内のなるべく早い時間帯に登り始めるために、寝台特急を使おうと思いました。熊本から飛行機ですと、朝一番の飛行機でも羽田着9時35分ですが、寝台特急ですと富士市に8時に到着する事ができます。寝台特急の名前も「富士」で、これに決まりです。ただ、富士号は、大分発ですので、熊本からですと、博多、小倉で乗換える必要がありました。もう一つ決めないといけないのは、登山ルートです。静岡側から登れて、頂上へ最短ルートの富士宮口を最初考えていました。でも、夜間登山をしたくないが、御来光も見たいと言う要件を満たすために、六合目以上ならば御来光を見る事が出来る山梨側の吉田口から登る事にしました。レンタカーを借りて、高速道路を使えば時間的な差はあまりない事もありました。ちょっと心配だったのは、富士山五合目での駐車場です。ガイドブックによると、吉田口の駐車場は200台と書いてあるけど、停められなかったらどうしようか?富士スバルラインの管理事務所に電話して見ると、「多い時は路肩に駐車して行くので1000台位は大丈夫で、駐車出来ない事はありませんよ。ただし、下の方に停めると、20〜30分余分に歩かなければなりません。」と親切に教えてくれました。そう言う事ならと、レンタカーを借りる事にしました。

 さて、出発の2〜3日前から、気になるのは天気です。何度も予報を見ると、降水確率70%と言う時も・・・。雨が降ったらあきらめるしかないと思っていましたので、70%の確立で登れないかもしれないと思っていました。出発当日、翌日の山梨地方の天気予報は降水確率50%でした。

 7月29日19時頃、小倉駅に到着して富士号の到着を待つと、雨のため列車が遅れているとの事。待っていると更に遅れる放送があって、結局30分程度の遅れで富士号が到着。さあ、やっと出発・・・と思ったら、今度は下関駅で足止め。何でも線路が雨に浸かって、水が引いて安全確認が出来てから出発との事。先日(2003年7月18日)長崎本線で起きた特急かもめ号の脱線事故のせいで、安全確認も慎重になっているのかな?等と思いつつ、待つ事延々1時間半。やっと出発しました。最初から雨に悩まされる旅の始まりでした。

 寝台車の2階でトランプに興ずる子供達。(TVゲーム以外で一緒に遊ぶ事は珍しい)
 名古屋の手前で全員目が覚めました。天気は曇り。富士号は2時間半程度遅れて運行中でした。でも、焦っても仕方ありません。社内放送で、列車が遅れているので希望者は、名古屋で新幹線に乗換えても良いとの事。ああ、その手も有ったのかと時刻表を調べましたが、新富士まで新幹線を使っても、早くは無さそうです。念のため通りかかった車掌さんに確認しても、このまま乗って行った方が良いとの事。「2時間以上の遅れがでていますので、特急料金の払戻しがあります。駅員に言ってください。」と教えてくれました。

 沼津へ到着して早速窓口へ行きました。駅員さんが私の切符を見るなり分厚いマニュアルの様な物を引っ張り出してきてめくり始めました。別の駅員さんも来て小声で話し合っています。今度は電話をし始めました。家内達は、さっさと改札口を出て眼鏡屋のワゴンサービスをのんきそうに覗いています。駅員さん達は、相変わらず何の説明もないまま話したり、調べたり・・・。なんだろう?特急が遅れた上に払戻しでも待たせるのか?いらいらして来て「どうなっているのですか?」と尋ねると、「この切符は割引切符なので、ここで特急料金の払戻しが出来るかどうか調べています」と言う事でした。それから暫くして、やっと「この切符の払戻しの事は発券元でないと分かりません。熊本に戻られてから切符の発売箇所で尋ねてください」でした。

 私が使ったのは、熊本からの東京往復割引切符で、この切符の事は時刻表にも掲載されています。そんなに特殊な切符とは思っていませんでした。(結局、熊本に帰ってから切符を買ったジョイロードにて特急料金の払戻しが出来ました。ここでも1時間くらい待たされました。)

 やっとの思いで改札口を抜けると、家内達は、我が家に2個目のサングラスを買ったようです。駅前の信号機では、流れるメロディーが「頭を雲の上に出し〜」(もちろんメロディーだけですが)ではありませんか!さすがは富士山のお膝元!と思っていると、「雷様を下に聞く〜」で信号が変わり、中途半端に終わってしまいました。

 レンタカーの店ではスムーズに手続きが済みました。車に乗り込むと、我が家の車には付いていないカーナビが付いていたので子供達がおおはしゃぎ。子供達がピコピコ操作してうるさい事、うるさい事。カーナビが無くても目的地に行けるよと私は強がりを言っていたものの、知らない道では、やはり頼りになるようです。

 天気は相変わらず曇りで富士山の影も形も見えませんでした。途中で、一時、雲が風に流され、富士山の裾野らしきものがほんの少しだけ見えました。それだけ見ても富士山の巨大さが分かるようでした。それにしても、こんな天気ではたして登れるのだろうか?
 富士スバルラインに入ると、雨が降って来ました。それも結構強い雨です。とにかく五合目まで行ってから決めたほうが良いと言う事を何かのホームページで見た事がありましたので、とにかく五合目まで行きました。心配していた駐車場は空いていて、登山口の近くに停める事が出来ました。様子を見ながら五合目の店で昼食を済ませました。相変わらず雨は降ったり止んだりでしたが、案内所の人が、「これ位なら大丈夫でしょう」という様な事を言われていましたので登り始めました。
 レインコートを着てからの登山開始でした。登っている人も大勢いました。幸いな事に6合目に着かないうちに雨は上がってくれました。

 晴れると爽快な事。雲の上に出た様です。下界は雲間に見え隠れしています。そして、ギラギラ太陽が照付けます。そうだった。家を出る時に雨が降っていたので、帽子を忘れてきていた!日焼け止めクリームを塗りました。私はコンタクトレンズの愛用者なので、強風対策にサングラスを用意してきたのですが、子供に取られてしまいました。でも、時々取り返して着用して見ましたが、日頃サングラスを掛けていないためでしょうか、サングラスを掛けている事に違和感がありましたので、結局ほとんど掛けませんでした。風もそれ程強くはありませんでしたし。

 さすがにキツイ登りです。ジグザグ道の角を二つ毎に休みながら登りました。元気一杯の長男はじれったそうに休んでいましたが、本当にきつかった。やがて山の上のほうにビッシリ山小屋の列が見えてきました。やがて「今日のお泊りは何処ですか?」と聞く人あり。「まだ決めてません」と答えると、「蓬莱館ですが、今日は予約が8人しか居なくて空いていますよ。いかがですか?」と客引きのようです。曖昧な返事をして登り続けました。しばらく登っていくと夕刻になりました。すると、またさっきの人が後から追い付いて来て「どうですか?」。しつこいなと思いつつも、時間も良い時間だし、この先もう少しで八合目の蓬莱館との事。今日の内に八合目まで行けたら良いと思っていましたので宿泊をお願いする事にしました。

 山小屋では、随分狭い所で寝なければならない由聞いていましたが、ゆっくりしたスペースが使えました。さすがに予約の8人と我々4人だけと言う事はありませんでしたが、一人に一畳分以上はありました。ガイドブックを見ると蓬莱館の定員は何と200人!夕食に案内され、定番メニューのカレーを食べました。少し足りない感じでしたので、4人でカップラーメン2個を追加注文しました。

左がその時のカレーです。その先にお茶の入った湯飲みが有って、四段に重なっている包みが翌日の朝食として渡された弁当です。しっかり缶ビールも・・・これが高山病の元だったかも?

 翌日は御来光が見える時間に起こしてくれる様に山小屋の人に頼んで就寝。夜中に他のお客さんが荷物をガサガサする音が結構うるさい。でも私も結構夜中にガサガサしていましたけど。山小屋の前では、夜中の登山客が休んで行きますのでこれもうるさい。一番うるさかったのは、山小屋前で休憩している団体客のガイドさんが大声でする諸注意でした。 そんな感じで夜中に何度か目が覚めました。何となく頭の芯が痛いような感じがしてきました。朝は、起こされるまでもなく目が覚めました。見事な御来光が見えて満足でした。真冬並に寒い!それもそのはず、山頂と平地では20度も気温差があります。夜明け時には、0度にもなります。

 朝食は昨日もらった弁当と400円の味噌汁を食べました。御飯は何となく硬い。 6時に出発。きつさは昨日以上です。頭が痛いせいもあるかもしれません。この痛みを今までの経験と照らし合わせると、二日酔いと少し似ています(同じ事を誰かが言っていたような記憶もあります)。長男も頭が痛いと言い出しました。ちょっと歩いては一休みの連続です。携帯酸素も持ってきていましたが、私には全く効果無しでした(期待もしてませんでしたけど)。本八合目トモエ館に不要な荷物を預け、少しは楽になりました。下ばかり見て登っていたからでしょう、頂上に着く時は、あっけないくらいでした。登山口からは(一泊した時間を除いて)8時間の道のりでした(ガイドブックの標準時間は6時間)。登って直ぐの所の山小屋前で一休み。さて、お鉢巡りに出発です。家内達は郵便局でスタンプを押したりする事が一つの目当てで、もう一つは最高峰の剣ヶ峰を目指します。

 お鉢巡りの道のりも上り下りがあり、楽ではありませんでした。お鉢の中(つまり富士山噴火口跡:右写真)は、大変深く迫力がありました。下界は残念ながら雲海に阻まれ何も見えませんでした。やがて着いた郵便局では家内と子供達がスタンプ押しやハガキ書きに熱中していました。私は郵便局の中をちょっと覗いてみたものの、後は外で座っていました。疲れのため日溜りの中でうつらうつらしてしまいました。フリースやレインコートを着込んでいましたが、それでも少し寒かった。やっと郵便局から全員でてきて歩き始めました。「馬の背」と言う急勾配の所を登り切ると、すぐに剣ヶ峰に到着しました。やった〜!

ついに到達した、標高3776m、富士山最高峰の剣ヶ峰。達成感はありましたが、頭痛と疲れで気分も最高と言うわけには行きませんでした。
 登山道に戻るまでに、まだかなり歩かないといけないようです。途中、一人でお鉢巡りをしている人と何度かすれ違いましたが、皆さんかなりお疲れのようで、「こんにちは」とあいさつするのもはばかられる様な感じでした。こう言っては悪いですが、まるで幽霊が地上を彷徨っているかのようでした。でも、向こうの人も私をそんな風に見ていたかもしれません。お鉢巡りが終わったのが13時30分頃で、何と3時間もかかっていました。(標準時間は1時間30分)  山小屋で、カップラーメンやお茶漬けの昼食を済ませた後、下山開始です。本8合目トモエ館に荷物を預けていましたので、そこまでは登山道を下りました。荷物を受け取り下山道に入りました。この下山道が大変でした。単調なジグザグ道がそれこそ際限なく続いています。疲れも最高潮で、頭は痛いし足はふらふらになってきました。砂れきの道は小石を踏むとズルッと滑ってしまいます。前を歩く息子の足跡を踏んで行きましたがそれでもズルッと滑り転倒。そのまま休憩に入ったりしていました。

痛い頭を抱えて座り込む私。(誰だ!こんな写真を撮ったのは!) 写真の左の方で家内と長男が霧に煙った下界を見ています。長男の頭痛はこの頃には良くなっていたようです。
 足元がふらふらして、ちょっとした事で何度も転倒しました。家内が見かねて荷物を軽くしてくれました(情けない)。そして、それまで一本のストックを使い降りてきましたが、ストックも借りて、二本のストックを使い降りてみました。おお〜っ、これでだいぶ楽になりました。

 六合目を過ぎて登山道の雰囲気も変わってきました。もう少しだと言う気持ちになりましたが、駐車場までの道のりはまだまだでした。ここは登る時に確かに通ってきた道だ、ここまで来ればもうすぐだと思って進むと、また同じ様な景色の道に出てしまって・・・、そんな感じの道が延々と続きました。ただ、先ほどの砂れきばかりの景色ではなく、木々や草花が家内や次男の気持ちを和ませてくれたようです。(私は疲れでそれどころでは無く、長男は興味が無い) 岩ゴツゴツの登山道ばかりでなくて本当に良かった。

オンタデ
ホタルブクロ
タカネバラ
クルマユリ
 遅いながらも前進あるのみ、とにかく前に進んで来ました。駐車場周辺の建物が夕日に浮かび上がる姿が見えた時は、ほっとしました。本当に長い〜長い〜道のりでした。

 山中湖近くの宿に着いたのが20時で、すぐに食事の時間です。御馳走がたくさん出て来ましたが、疲れのためでしょう、あまり喉に入りません(頭もまだ痛かった)。大好きなビールも残してしまいました。食事の後、お風呂に入ったものの、温泉を楽しむ余裕もなく、汗を流しただけでお風呂から上がり、布団に横になりました。あ〜疲れた。もう二度と登らないぞ!と思いました。しかし、一番重い荷物を文句一つ言わず持ってくれた長男、過去の登山では一番最初に弱音を吐いていたのに富士登山では一番元気だった次男、それぞれの成長ぶりを見る事ができました。また、家内の「雨男」ならぬ「晴女」の実力には、恐れ入りました。そんな事を頭に巡らしながら眠りに落ちて行きました。

<富士登山の記録>
【2003年7月30日】
14:00 五合目出発(吉田口)
17:40 八合目山小屋(蓬莱館)着後一泊
【7月31日】
 4:50 御来光
 6:00 山小屋出発
10:10 山頂着
12:20 剣ヶ峰着
13:40 下山開始
18:40 五合目着(吉田口)

 翌日は頭痛もおさまり、山中湖近くの花の都公園から、忍野八海、富士湧水の里水族館、白糸の滝、沼津市の柿田川をまわって来ました。ちょうど、富士山の裾野を一周した形になります。途中悪い天気ではありませんでしたが、富士山が見える時は一度もありませんでした。夕刻、沼津駅から乗り込んだ寝台特急富士号の窓に、雲々の切れ間から富士の姿がおぼろげながら現れた時、思わず感嘆の声が出てしまいました。そして、雲と闇の中へ消えていく富士山を見送ったのでした。

(2003年8月記)


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