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書道史を学ぶ事の意義
書は人なり。書を理解しようとする事は、書いた人を理解する事と等しい。人を理解する事は難しい事だ。
書を理解する事もまた然り。
書を勉強するには、手習いだけではダメで、書道史の勉強をしなさい・・・とは、良く言われる事です。
手習いは、それだけでもそれなりに面白く、かつ、なかなか上達しないので、幾ら時間を費やしても時間が足りません。
それで書道史の勉強をする時間がありません・・・とは、これまた良く聞く言い訳です。
書の勉強をしていて、昇段昇級する事は励みになります。それで手習いは一生懸命やる。でも、
書道史を勉強していなくても、その勉強不足を認識する機会があまりないので、書道史の勉強は疎かになり勝ちです。
おまけに私は、歴史が苦手ときています。時間的な感覚が鈍いのかもしれません。中学の歴史で既に嫌になっていました。
テスト問題に正解するために覚える事が多すぎてついていけませんでした。歴史は物語の様なので面白いと言う意見を
歴史が好きな人から聞いた事があります。でも、私には、授業で学ぶ歴史はあまりにも断片的過ぎて物語とはとても
思えませんでした。
そんな私でも、この文章「書道史を学ぶことの意義」を書いているのはなぜなのでしょうね?書道史を学ばないと
いけない・・・と言う気持ちはあるのでしょうね。そんなわけで、私なりの「書道史を学ぶことの意義」を考えてみました。
書の手本は、肉筆が一番理解しやすいと思います。でも、漢字の臨書手本となる古典は、肉筆ではなく、拓本です。
拓本は、石等に彫られた物をさらに紙に拓を取ったものなので、刻法や採拓法によっても文字の形状が変わってきます。
刻法が未完成のため、書かれた文字と彫られた文字とにはギャップがあると思われる古典もあります。面白い事に、彫ら
れた文字には、彫られた文字特有の味があるので、後世の書く文字に影響を与えたりします。その書き文字がまた碑文
になったりして・・・。因果は巡るとでも申しましょうか・・・。拓本は肉筆とは異なります。作成当時の刻法について
の書道史の知識があると拓本の理解も進むはずです。
書道史の本を紐解きながら思いました。これは歴史と言う名前が付いているが、何も時間軸で考えなくても良いので
はないか?書道史はあくまでも、ある古典を理解するための参考資料と考えれば良いのでは?地図帳上に古典ゆかりの
場所を配置すれば、次の中国旅行の候補地が浮かび上がってくるではありませんか!あとは、古典が生まれた年代や因
果関係にも注意を払いさえすれば、立派な書道史理解になるはずです。これを書道史の地誌的理解方法と呼ぶ事にしましょう。
「篆刻は古法を重視し、古典を尊ぶ。しかしながら秦・漢を摸し、悲あん(注1)・缶翁(注2)に做い得たといっても、
ただそれだけではどうにもならない。古典を基調に豊かな肉付けと、先人を今にどのように活かすか、それを実践しないかぎり、
高い作品を得ることは困難であろう。」これは、書道講座6篆刻(二玄社刊)の中の吉野松石先生の言葉です。
篆刻に関する言葉ですが、篆刻→書道、摸→臨と置き換えても何の違和感もありません。
(ただし、悲あん・缶翁→王義之・顔真卿と置き換えるべきでしょう)
(注1)悲あん・・・趙之謙の号。「あん」は「今」の下に「酉」と「皿」を書いた字
(注2)缶翁・・・呉昌碩の号(缶廬)から。
この言葉は、私が篆刻を習い始めた当初に出会いました。しかし、当時は、目や耳を素通りしていました。
ある時に読み返してみて、その意味を再認識し、今ではこの言葉を、どのように実践していくかが私の課題だと思っています。
(同時にその重さの前に押しつぶされそう・・・)
自分の書いた作品を振り返ってみると、その日の体調、気分、環境、用具、作品を仕上げる納期、意気込み、
さらに今までどれだけ努力してきたか、といった色々な要素が絡んで作品が出来ている事に気付きます。
我々が手本としている古典の数々も人の手によるものです。書き手の色々な要素が絡み合って出来上がった作品に
違いありません。数千年の時代を経た後の現代において、その人となりを完全に理解する事は不可能に近い事です。
しかし、名人と言われる人の事、名人が生きた時代の貴重な記録は、書道史として残っています。この貴重な記録、
つまり書道史を学ばずにいる事は、古典を理解する手がかりを放棄している事になります。やはり、
書道史の勉強は欠かせません。でも、書道史の勉強だけでも先は相当に長いです。私が「豊かな肉付け」や
「先人を今に活かす」事が出来る様になるのは、やっぱり地球最後の日でしょうか・・・。
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