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思い出しイタリア旅行

 2022年、新型コロナウイルス感染症は収まるかと思いきや、再拡大したりして、なかなか収束しません。 あまりにも長くコロナが続くため、旅行に出かけたいという気持ちも萎えてしまった気もします。しかし、どこかでウズウズしている気持ちもあります。
 そんな時、テレビ地上波で「ローマの休日」が放送されました。この映画、何度か見た記憶があります。 最初に見たのは、今から50年ほど前、中学校行事の映画観賞会でした。面白くて感動した事を今でもはっきり覚えています。 この映画を今年になって、あらためて見て、イタリア旅行記は書いていなかった事を、ふと思い出しました。
 もう時効だと思いますので、正直に書きます。20年前、先生宅の篆刻の稽古をサボって旅行に行きました。 先生には旅行で休むなどと言えなくて、当時勤めていた会社の出張のために休みますと言いました。 習い事を休むのに、そんなウソをつく必要性を感じないのが当たり前だと思いますが、とても厳格な先生だったのです。
 実際の旅行に行けない辛さを紛らわせるためもあり、20年前の事を思い出しながらイタリア旅行の事を綴ってみたいと思います。 さて、保存していた旅の資料と写真から、どれだけ当時の事を思い出せるでしょうか。記憶違いもご愛敬という事で・・・。

 記憶という言葉が頭に浮かんだ時に、書の創作の事が頭に浮かびました。 創作と言う言葉から連想すると、自分の好きなように自由自在に作品を作っているみたいで、記憶とはあまり関係なさそうな気もします。 しかし、書の場合は、古典を基調とした作品作りが望まれます(書に限らず、何にでも基本はあるのではないでしょうか?)。 創作作品を作る時には、あれこれ思い出しながら作ります。いえ、思い出せない事が多いです。 字書を手元に置いて古典をあれこれ参考にします。現代の作家の作品も参考にします。 どれだけ参考資料を見ても満足のいく作品は出来ません。ましてや、参考資料を見なければ、私の頭の中が貧困すぎて話しになりません。 参考になりそうな資料を探し出す事ができれば楽になります。 そうしていると、記憶こそが創作の原点・・・などと思ってしまいます。 熟達した先生方は、それらが、ほとんど頭の中に入っていらっしゃるらしい。しかも、頭の中のイメージを紙の上で再現できる腕を持っていらっしゃる。 腕が覚えているという事なのでしょうか。

 昔の話になりますが、私が受験勉強をしていた時代に、授業中、ハッとさせられた記憶があります。 それは「数学は最大の暗記科目である」と先生から言われた事です。私は理科系でしたし、数学はそれなりに勉強してきたつもりでした。 歴史等は暗記科目であるが、数学は応用がモノを言う科目であると思っていて、その言葉をにわかには受け入れる事が出来ませんでした。 しかし、よくよく考えてみると、試験問題は決められた時間内に解かなければなりません。 問題をパッと見た瞬間に、解法がパッと頭に浮かぶかどうかが勝負の分かれ目。解法が分かれば、後はミスなく解答を導き出すのみです。 「解法がパッと頭に浮かぶ」ためには、色々なパターンの問題に当たって解法を覚える事に尽きると言うのが「数学は最大の暗記科目である」の意味なのです。 言われてみれば全くその通りで、良い点数が取れたテストは、スイスイ解答出来たテストで、 ウンウンうなって解答したテストはさんざんな結果になっている場合が多いのでした。

 創作と言う呼び方をしますが、どれだけ古典を記憶したかが勝負かもしれません。 しかも、頭で記憶しただけでは不十分で、手で再現できる事が大切です。言うならば、手でも記憶する事が大切です。 釈文をみて、作品のイメージがパッと頭に浮かぶかどうかが勝負の分かれ目(数学の試験の様なシビアな制限時間はないし、 参考資料も見放題なので、パッと頭に浮かばなくても頑張る!)。後はそのイメージに近づくように書作を繰り返すのみです。

 一見、応用が大事と思われる「創作」も「数学」のように暗記が肝要だと思います。 しかし「創作は最大の暗記科目である」という言い方は変です。「創作は記憶の賜物」とでも言っておきましょう。

 イタリア旅行を計画している段階で、中学一年生の長男は、旅行にあまり興味なさそうでした。高い旅費を払ってしぶしぶついて来られるのは、 あまりにももったいなく感じました。 「ゲームソフトを3本買ってあげるから留守番しておくのはどう?」と提案すると、喜んで祖父母宅にお留守番にする事になりました。 小学五年生の次男は喜んで一緒に行きますが、サッカー部の試合に欠席することとなり非常に迷惑をかけてしまいました。
 イタリア旅行の前にレンタルビデオを借りてきて「ローマの休日」と「ロミオとジュリエット」を背景の街並みを意識しながら見ました。
 イタリア国内を広く回るツアーを探しました。イタリアも広いです。南イタリアは泣く泣く割愛して、それでも10日間のツアーにしました。 そして、自由時間に是非行ってみたい所の予約をしました。 ローマのボルゲーゼ美術館(アポロンとダフネ等)は、インターネットで予約が出来ましたのでそれほど難しくなかったです。 しかし、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(最後の晩餐)は、電話予約のみでしたので、 おっかなびっくり電話(英語)しました。何とか予約が出来てほっとしました。

2002年7月25日

福岡空港→関西空港(乗継)→香港空港(乗継)→ローマへ
香港空港の広い事、広い事。

7月26日

 ローマ空港から、高速道路で移動。途中に見える小高い丘の上には中世の古城が沢山。バスの中からイタリア気分が盛り上がって行きました。 最初に訪れたのは、トスカーナの古都シエナ。バスから降り、迷路のような小路をぬけると、白が印象的なシエナ大聖堂が姿を現しました。 中に入るとステンドグラスがとても綺麗。ステンドグラスの写真が大変気に入ったので、パソコンの背景画像としてしばらく使っていました。 驚く事に(間抜けな事に)、このステンドグラスの絵が最後の晩餐である事に気づいたのは20年後の今でした。
シエナ大聖堂
ステンドグラス

 世界で最も美しい広場と称せられるカンポ広場。世界一と認めるかどうかは人によって違うかもしれませんが、石畳の美しさには特筆すべきものがあります。 マンジャの塔に登ろうとしましたが、人数制限のため、直ぐには登れないようで、時間の都合により泣く泣く諦めました。

 ピサへ向かう途中、フィレンツェ郊外の高速道路を通りました。その際、フィレンツェの街並みが遠くに見え、大聖堂が突出しているのが見えました。 フィレンツェには、後日訪れる事になっていて、大聖堂とは一旦お別れです。

 ピサに到着。待ってました!これぞイタリア!ピサの斜塔!はるばるイタリアまで来た甲斐がありました。 さらに隣には、とても立派な大聖堂があります。 ガリレオが、ランプが揺れるのを見て「振り子の等時性」の法則を発見したのは、この大聖堂の中だそうです。 建物の中には実際にランプがぶら下がっていますが、ガリレオ時代のランプではないと言われています。 ガリレオがピサの斜塔の上から、質量の異なる二つの物体を同時に落とす実験をして、「重力による物体の落下速度は、その物体の質量の大きさに依らない」 と言う法則を発見したと言うエピソードも有名ですよね。 どちらの法則発見の経緯についても諸説があって、作り話説もありますが、ガリレオがピサで生まれ育ったからこそ生まれた伝説なのでしょう。

ピサの斜塔
ピサ大聖堂

 添乗員さんにピサの斜塔に登るチケットを手配してもらいました。入場時間が少々遅く、日の入り直後位でした。 一旦ホテルに戻り食事を先に済ませる事にしました。幸い斜塔とホテルは目と鼻の先で移動は徒歩で直ぐでした。
 ホテルのレストランで夕食。この時の料理がスパゲッティでした。 私は具沢山のスパゲッティが好きなのですが、この時のスパゲッティは、ほぼ具が入っていないペペロンチーノ。 ちょっと期待外れで食べ始めたのですが、その美味しい事、美味しい事・・・こんなスパゲッティ食べた事ありませんでした。 さすが、スパゲッティの本場イタリア!20年後の今も「一番美味しかったスパゲッティは何か?」と問われれば、この時食べたペペロンチーノと迷わず答えます。
 日の入り間近になってピサの斜塔に向かいました。通路が狭いのでバッグ、リュック類はすべて入口の受付で預けなければなりませんでした。 幸い、小さなベルトポーチは持って行けましたのでパスポートは預けなくて済みました。入口を入って狭い螺旋階段を登っていきました。 階段の中央部分が擦り減っていて(下左の写真参照)、長い歴史を感じさせます。 最上階に出ると既に暗くなっていて、夜景しか見られなかったのが残念でしたが、ピサの斜塔に登れて大満足でした。
ピサの斜塔 内部の階段
ピサの斜塔 最上部の鐘

7月27日

 翌朝、バスで約3時間半後にミラノのスフォルツェスコ城へ到着。極めて短時間の滞在でもったいないくらいでした。
スフォルツェスコ城
ミラノ中央駅

 ミラノ中央駅付近をバスで通過中にピレリビルに気づきました。ピレリビルは、2002年4月18日、小型飛行機が衝突するという事故があったのです。 2001年9月11日の同時多発テロからまだ間もない時期でしたので、またテロか?と騒がれた事故でした。しかし、実際にはテロではなく事故であったらしい。
 そして間もなくツアーに組み込まれている(行きたくはない)免税店に着きました。 せっかく(?)事故現場に近い所に居るわけですから、野次馬根性丸出しで、免税店をそっと抜け出して少し歩くと・・・見えました!ピレリビルが! 残念ながら、飛行機が衝突した反対側が見えているようでした。野次馬としては衝突した側を見たかったですが、時間の都合上諦めました。 写真で一番奥の屋上に鉄塔があるビルがピレリビルです。

 それからミラノ大聖堂に到着。 この大聖堂も、憧れていたものの一つです。大変残念ながら、外壁の大理石の黒ずみ清掃のために、ほぼ全面に足場が組まれていました。 それでも大聖堂の屋上テラスにもあがって、幸せな時間でした。
足場に囲まれたミラノ大聖堂
足場がなければ・・・

ミラノ大聖堂 屋上
ミラノ大聖堂 屋上からの眺め
足場の鉄骨が写り込んでます

 大聖堂前の広場には、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアも面しています。ここの中を歩いて見たかったのですよ〜。 天井を時折見上げながらワクワクしながら歩きました。
ガッレリア 入口
ガッレリア 内部

 それから、路面電車に乗って(自分達だけで路面電車に乗るのも大冒険気分です)サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に向かいました。 ここにはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるのです。日本から電話予約して取った予約番号を提示して無事チケットを入手できました。 オーディオガイド(日本語)も借りました。係員の指示に従い、しばらく待っていると入場時間になりました。見学時間はわずかに15分です・・・ と言ってもたった1枚の絵を見るだけだから・・・と思っていたら大間違いでした。オーディオガイドを聞きながら、 また、最後の晩餐に相対する壁面にも絵があって、そちらの説明も聞いていたらあっという間に退場の時間になってしまいました。 名残惜しくて、名残惜しくて・・・しばらく出口付近の売店でたたずんでおりました。それでも、これもまた、憧れの絵を見ることができて良かったです。

最後の晩餐
レオナルド・ダ・ヴィンチ - 不明, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=24759による

7月28日(日)

 翌日、ミラノを後にしてロミオとジュリエットの舞台になったヴェローナへ。 ヌォーバ門は、ヴェローナ市街への入り口。旧市街地に入ると、ロミオとジュリエットの映画を彷彿とさせるような城壁を見かけました。 中世の街並みを感じられる所が至る所に残っているのが素晴らしい。
ヌォーバ門
旧市街の城壁

 日本では英語読みのロミオとジュリエットですが、イタリア語では、ロメオとジュリエッタになるので、以下イタリア語に従います。 ロメオの家は、中には入れません。閉じた門を見るだけでした。
ロメオの家の門

 ジュリエッタの家は、多くの人が訪れていました。例のバルコニーとジュリエッタの像が注目の的。 ジュリエッタの像の右胸に触ると幸せになれるといわれているそうで、右胸はピカピカになっています。 右胸に触れた所を写真に撮ってもらうと言うのがお決まりになっていて、皆さん順番待ちで並んでいました。 像といえども女性の胸を触るのはちょっと気が引けてしまいましたが、私も右胸を触っている写真を撮ってもらいました。
バルコニー
ジュリエッタの像

 アレーナはローマのコロッセオを少し小さくしたような感じ。歴史的な価値があるだけでなく、現在でも屋外オペラ公演の会場として使われている所が凄い。
アレーナ

 バスで約2時間かけてヴェネツィアへ。 バスが到着したのは、ヴェネツィア本島の対岸の桟橋。桟橋の杭にやたらと噛み終えたガムのようなものが貼り付けられているのが気になりました。 舟に乗り込み、憧れの水の都ヴェネツィア本島へ出発!あの、ヴェネツィアの夢のような街並みが目の前に迫ってきました。

 舟が着いたのは、ヴェネツィアの中心とも言えるサンマルコ広場。すぐにでも観光したいのですが、その前に昼食でした。 添乗員さんの後からくねくね曲がった狭い路地や小さな橋を歩いて行きました。 添乗員さんを見失ったら迷子になりそう・・・と思いながら昼食会場に着きました。 昼食はイカスミパスタ。初めてのイカスミでした。見かけは悪いですが、味は素晴らしい!

 ツアーでサンマルコ寺院、ドゥカーレ宮殿、ベネチアンガラス工房を巡りました。
サンマルコ寺院
ドゥカーレ宮殿

 ゴンドラもツアーに含まれていて、添乗員さんの座席指定に従い最後尾に座りました。 最初は何気なく座っていましたが、良く見ると最後尾はゴンドラの特等席なのでした。なぜ最後尾座席が特等席かと言うと、座席の背もたれが立派なのです。 さらに漕ぎ手と一緒の写真に他人が写り込まないのです。ツアーには新婚さんカップルもいらしゃったのですがね・・・。  ヴェネツィアのゴンドラは、やはり良いです。ゴンドラに揺られながらゆったりと移り行く街並みを眺めながら、ヴェネツィア気分は最高潮に達しました。 途中、小さな橋の上に小さな女の子がいて、「チャオ、チャオ、チャオ」と言いながら可愛く手を振ってきました。 みんな、思わす手を振り返しました。チャオとは、こんな風にも使うのですね。 後で添乗員さんから聞いたのですが、私達の席は、夫婦の間に息子を座らせ安全を確保するという配慮から、決めたらしいです。 しかし、席に余裕があったのか、息子は私たちの前の席に座り、私たち夫婦二人で最後尾席に座っていました。 私たちは添乗員さんの意に沿わない座り方をしていたのです。ともかく、添乗員さん、良い席をありがとうございました。

 しばしの自由時間には、リアルト橋に行こうかと一瞬思いましたが、やはりここは、高い所・・・鐘楼でしょう。エレベーターで上まで上がり、 町を一望しました。ん〜〜高い所最高!

 ヴェネツィアの滞在時間も終わり、再び舟に乗って対岸に渡りました。さよならヴェネツィア! 舟の甲板に出て、最後まで街並みを眺めながら名残を惜しみました。 泊りはヴェネツィア島対岸のメストレと言う所のホテル。

7月29日(月)

 翌日、約3時間半のバスの移動後、フィレンツェ着。 着いたら直ぐに自由行動の時間でした。明日は、団体行動でウフィツィ美術館、シニョーリア広場、大聖堂を巡る事になっています。 しかし、団体行動では大聖堂のクーポラ(半球形の屋根)には登らないので、今日のうちに登る事にしました。ツアー同行者の中には 「クーポラを見たいので(近接して高い)ジョットの鐘楼に登る」と言う方もいらっしゃいました。なるほどとは思いましたが、 私は、より高い所に登りたいという事と、クーポラ自体に興味がありましたのでクーポラ登りを決行しました。 両方登るのもありでしょうけど、さすがの高い所好きの私でも、他の観光地巡りを優先しました。 クーポラに登る途中でクーポラ内部のフレスコ画「最後の晩餐」を間近に見る事ができました。
大聖堂
クーポラ内部のフレスコ画

 クーポラの上に出ると花の都フィレンツェの街並みが一望でした。レンガ色に統一された屋根が広がる様はいつまでも見ていられる美しさ! 右側に見える塔がジョットの鐘楼です。

 暑い時期ですので、飲み物も欲しくなります。添乗員さんから、店に行くと、ペットボトル入りの水が売られていますが、 ガッサータ(炭酸水)とノンガッサータ(ミネラルウォーター)の二種類あるので気を付けてと言われていました。 当時日本で、ペットボトル入りのミネラルウォーターは今ほど流通していなかったと思います。炭酸水はさらに珍しかったと思います。 ミネラルウォーターを買うつもりが、ある時、間違えてガッサータ(炭酸水)を買ってしまいました。 でも、飲んでみるとガッサータもすっきりして美味しい!それ以降、時々ガッサータも買うようになりました。 でも、ちょっと大きめのボトルで買うと、後で常温になってしまいます。そうなるとガッサータはあまり美味しくなくなりました。 常温で飲むなら、ノンガッサータに限る・・・と思った次第です。

 それから向かったのはベッキオ宮殿。ベッキオとは、イタリア語で「古い」と言う意味。上に伸びている塔が特徴的。さらに、建物の正面にあるテラスが映画「ハンニバル」を思い起こさせます。 脱獄したハンニバル・レクターを追い詰めていたパッツイ刑事でしたが、なんとこのテラスから・・・恐ろしい事に! (恐ろしい事を見たい人は、映画ハンニバルをご覧ください)
 ベッキオ宮殿での一番の見どころは500人大広間です。ここに来て疲れがでたのか、家内がここで休んでいるから、あなた達は見物しておいで、 と言い出しました。この大広間には、天井、壁面のほぼ全面が歴史を感じさせる豪華な絵画で埋め尽くされています。 椅子も沢山ありますし、座ったまま絵画を眺めるのも一興でしょう。私は息子と宮殿の中を見て回りました。迷子になりそうなくらい、 沢山の部屋がありました。でも、500人大広間が圧巻でしたので、他の部屋は霞んで見えました。 500人大広間に戻ると・・・家内は座ったまま眠り込んでいました。こんな豪華な部屋で居眠りとは、さぞかし豪華な夢が見られたことでしょう。

 それからベッキオ橋へ。 橋自体が歴史を感じる建造物です。面白いのは、橋の上部だけ見ると建物そのものにしか見えないという事。通りに面して宝飾店が多く並んでいます。 メディチ家が統治していた時代には、暮らしていたピッティ宮殿と、川の対岸にある執務所(現在のウフィツィ美術館)を結ぶ回廊にもなっていたそうです。

7月30日(火)

 午前中は団体行動で、フィレンツェ市内観光でした。先ず、ウフィツィ美術館。ここも、是非とも行きたかった場所の一つです。 美術館の建物は、16世紀にメディチ家が建てたもので、世界遺産になっています。入場前には大行列でした。 並んでいても美術館の建物を眺めながら、期待感が高まって行きました。団体予約してあったからでしょう、それほど待ち時間はありませんでした。 ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」と「春(プリマヴェーラ)」は、超有名で是非見たかった絵画です。 レオナルド・ダ・ビィンチ「受胎告知」、ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」等々・・・。 主要な絵を見終わった後には少し自由時間もありました。
ヴィーナスの誕生
サンドロ・ボッティチェッリ - Adjusted levels from File:Sandro Botticelli - La nascita di Venere - Google Art Project.jpg, originally from Google Art Project. Compression Photoshop level 9., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22507491による
春(プリマヴェーラ)
サンドロ・ボッティチェッリ - http://www.googleartproject.com/collection/uffizi-gallery/artwork/la-primavera-spring-botticelli-filipepi/331460/, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7963136による
受胎告知
レオナルド・ダ・ヴィンチ - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=76613573による
ウルビーノのヴィーナス
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ - The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=159580による

 昨日行ったベッキオ宮殿前のシニョーリア広場を通って、大聖堂へ。大聖堂は、昨日来ましたが、クーポラ以外は見ていませんでした。 何度来ても圧倒される場所ではありますが、一番印象に残ったのは昨日登ったクーポラでした。
 午後から自由行動。 最初に向かったのはアカデミア美術館。ミケランジェロの「ダビデ像」が目的でした。噂に違わず、その迫力に圧倒されました。 前後左右全方向から眺められる展示方法は素晴らしい!
ダビデ像
Livioandronico2013 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=45536718による

 タクシーに乗り、高台にあるミケランジェロ広場へ。ここからは、フィレンツェの街並みが一望です。 展望所で、青年に写真を撮ってとお願いすると「5ユーロ」。まあ、軽い冗談だったみたいで、無料で撮ってくれました。

 フィレンツェの街並みを眺められる階段に座り、ハトやスズメの動きを楽しみながら、しばらくゆったり幸せな時間を過ごしました。

 ミケランジェロ広場の階段で見かけた太っちょスズメ。(イタリアの美味しいものを食べている?)

 帰りはフィレンツェ中央駅までバスに乗りました。バスは最初、結構混んでいて、3人とも立っていました。 バスの中央付近の席が一つ空いたので、息子を座らせました。その後、後部の座席が二つ空いたので家内と私はそこに座りました。 しばらくすると、息子は疲れていたのか居眠りを始めました。その姿を見た乗客のおばさんが心配そうに息子の顔を覗き込んでいました。 東洋人の子供が、なぜ一人で居るのか?と思われたのでしょうね。

 バスはフィレンツェ中央駅に着きました。そこから、バスを乗り換えてホテルまで行く予定です。バスの出発時間までは、まだ時間がありましたので、 駅近くのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の外観だけ見てきました。駅前には小さな出店が出ていたので覗いてみてブックカバー等を買いました。 そして駅前のピザ屋でちょっと早めの夕食を食べました。ここのピザもとても美味しかったです。 ホテル行のバスに乗ったら、なるべく運転席近くに陣取って、 出発後30分くらいしたら(到着予定時間の少し前になったら)運転手さんに降りるバス停を教えてくれるように頼みました。 実はこれは添乗員さんから教えてもらった方法です。目的のバス停に着いたら運転手さんから声をかけてもらって無事ホテルに到着しました。

7月31日(水)

 早朝、ホテルを出発。約2時間半後にアッシジのサン・フランチェスコ大聖堂に到着。 堂々とした外観は、全く平穏な様子ですが、内部は地震により崩壊した壁画の修復のため工事現場の様でした。 壁画には、「小鳥に説教する聖フランチェスコ」をはじめとするジョットによる聖フランチェスコの生涯の連作があったのですが、 工事用足場の間から覗くような感じで、鑑賞の雰囲気は良くありませんでした。修復のためですから、仕方ありませんね。
サン・フランチェスコ大聖堂
窓辺の花

 約3時間のバス移動の後にローマに到着。 これぞローマ!コロッセオに来ました。ん〜大きい! 道端でおみやげ物を売っているおじさんから、息子がキーホルダーを買おうとしました。すると、なんやかんや他の物も売りつけようとするのです。 結局、買おうと思ったキーホルダーのみを買いましたが、なんだか、後味が悪かったです。

 続いて、バチカンのサンピエトロ大聖堂。さすがはカトリック教会の総本山。ここでもその壮大な建物に圧倒されました。 そして、その内部の荘厳さは忘れる事はできないでしょう。また、大聖堂内部にあるミケランジェロのピエタは美しい!
サンピエトロ大聖堂
サンピエトロ広場

サンピエトロ大聖堂内部
ピエタ
Juan M Romero - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=46153417による

 トレビの泉にやってきました。泉は大きくてきれい。ここも期待を裏切らない良い所です。しかし、人が多い事には閉口しました。 ローマの休日でアン女王が髪を切った美容院はこの辺かなあ?などと思いながら短い自由時間を過ごしました。 夕食は、カンツオーネを聞きながらのディナー! でも、知っている曲があるかどうか、多少心配でした。 しかし始まってみたら、オ・ソレ・ミオ、サンタ・ルチア、フニクリ・フニクラ、等々馴染みのある曲が多くて、ワインも飲みながらディナーを楽しみました。

8月1日(木)

 今日は終日自由行動。朝、ホテルからタクシーでバチカン美術館へ。開館前に到着したのですが、すでに行列が出来ていました。 開館したら、それほど待つこともなく、中に入れました。システィーナ礼拝堂は一番の見所です。入場者でごった返していて、 始終ザワザワしていました。時々係員の方が、人差し指を立てて口の前に持ってきて「シー」をしていました(この「シー」は、日本と同じなのですね)。 しかし、その効果は限定的で、またすぐにザワザワしていて、とても厳粛な礼拝堂と言う感じではありませんでした。 そんなざわついた雰囲気ではありましたが、超大作の「最後の審判」、天井画の「アダムの創造」等、ミケランジェロの超有名作品を堪能しました。 なんと言っても「最後の審判」は大迫力です。
アダムの創造
ミケランジェロ・ブオナローティ - Not necessary, PD by age., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16022922による
最後の審判
ミケランジェロ・ブオナローティ - See below., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16143987による

 この旅行の一年半前・・・2001年3月に徳島の大塚国際美術館に行き、陶板で原寸大に再現されたのシスティーナ礼拝堂を見てきました。 ここを訪れた時は、私達家族以外に、数人の観客しかいませんでした。それはそれは静かな環境で、大変敬虔な雰囲気を味わう事ができました。 本物のシスティーナ礼拝堂を訪れたら、なお一層敬虔な雰囲気を味わえるかと思っていましたが、その期待はみごとに打ち破られてしまいました。

 ラファエロの「アテナイの学堂」は、世界史の教科書で見ていた憧れの絵の一つ。タイミングが良かったのか、この部屋では人が少なくてゆっくりと見る事が出来ました。
アテナイの学堂
ラファエロ・サンティ - The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=157721による

 膨大な展示物を横目で見ながら、出口に向かいました。出口近くの螺旋階段が美しい! 実はこの写真には、家内と息子が写っています(何となく分かります)。

 バチカン美術館を出て、隣のサンピエトロ大聖堂へ。サンピエトロ大聖堂には、昨日、ツアーの団体行動で来ましたが、今日はクーポラに登るのが目的でした。 やっぱりクーポラに登って良かった!上は絶景です。近くにはサンピエトロ広場をはじめ、面白い建造物、庭園が、遠くにはローマの街並みが見えました。 高い所、最高!
サンピエトロ広場
バチカン美術館

バチカン政府宮殿
バチカン庭園

 次は、タクシーで、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会へ。ここにはローマの休日で有名な「真実の口」があります。 教会に着いたら、真実の口は、あっけないくらい入り口の近くにありました。例によって、手を口に入れて痛そうな顔をして記念写真を撮りました。

 これもローマの休日で有名なスペイン階段です。人がいっぱい。段ボールの切れ端を持った怪しげな子供が何人かうろうろしてました。 日本語で「スリだ!」と言う声がした方を見ると、日本人同士で注意をしていて、被害はなかったようでした・・・と思っていると、 私の方に段ボールの切れ端を持った子供が近づいてくるではありませんか!段ボールはバッグ等に延ばす手を隠すためのものらしい。 私は両手で思い切り拒絶反応をして、未然に防げました。 なんだか、変な事が記憶に残るスペイン階段でしたが、ローマの休日の景色は楽しめました。 スペイン階段の下にはバルカッチャの泉と言う噴水があって、手を浸したりして、涼む事ができました。 オープンテラスカフェで昼食。暑かったのでスイカがとても美味しく感じました。

 ナヴォーナ広場。ここも噴水で有名なところですが、トレビの泉を見た後では見劣りがしました。
ナヴォーナ広場
Myrabella - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7680717による

 パンテオンは神殿。天井の丸い穴が印象的。穴は明り取りになっているけど、雨が降ったらどうなるの?と思ったら、 雨が振り込むのは想定内で、床になだらかな傾斜がついていて、中心部に雨が集まり、そこから排水される構造になっているそうです。 スペイン階段では、ジェラートを食べられなかった(禁止されている)ので、ここでジェラートを食べました。
パンテオン前
パンテオン天井

 ボルゲーゼ美術館。美術館外部も内部装飾も見とれてしまいました。美術館そのものが美術品と言えます。 中でも一番見たかったのは、ベルニーニの「アポロンとダフネ」。 これはギリシャ神話の中の一瞬を表現した彫刻。中学時代に、「中〇コース」と言う雑誌(今は廃刊)に写真が掲載されていました。 あまりに官能的な彫刻だったので、強烈な印象を受け、記憶していたのでしょう。実物を目の当たりにして感慨深いものがありました。 もう一つの注目作品もベルニーニの「プロセルピナの略奪」。良く言われている事ですが、ベルニーニの作品は、血が通った肉体の様で、 冷たい大理石で彫られた物とは思えません。 他にも美術品の数々があったのですが、この2作品だけで、頭がいっぱい、思い出もいっぱいになってしまいました。

アポロンとダフネ
プロセルピナの略奪
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=75895896による
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=70353757による

 美術館を出た所に水飲み場がありました。手を洗い、腕を洗い、顔まで洗いました。 冷たくて気持ちいい!硬水なので、飲まない方が良い・・・と聞いていましたが、ついついゴクゴク飲んでしまいました。 まあ、なんともなかったです(おいしかった!)。

 ボルゲーゼ美術館の周りは広大なボルゲーゼ公園になっています。木々の影で涼しい公園内で暫しゆっくりと過ごしました。 ここで一日中のんびり過ごせたら良いのに・・・と思いました。

 ホテルに戻ってから、まだ多少時間があったので、どこか近場で見るべきものがないか・・・とガイドブックを見ると、ありました! 近くのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会にミケランジェロのモーゼ像があるのです。早速出かけました。 途中で、道にやや不安を覚えたので、向こうから来る家族連れに道を聞いてみました。 その家族は、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会の帰りで、教会はすぐそこである事を教えてくれました。 どこから来たの?という話になって、 我々が日本から来た事を告げると、その家族のお父さんは、アメリカ軍人で、佐世保に住んでいた事があるとの事。 何という事もないですが、それだけで親近感を覚えました(日本に米軍基地がある事も再認識しました)。 サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会では、静かにモーゼ像を鑑賞できました。
モーゼ像
By Livioandronico2013 - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=46598102

 今日の夕食は、イタリア旅行最後の夕食。ホテル前の大通りを悩みながらレストランを探しました。入ったのは中華風のレストラン。 チャーハンとピザを食べました。両方とも好物ですが、変な組み合わせでした。

8月2日(金)

 今日は、とうとう帰国日です。朝、テレビをつけて見ると、日本のアニメが放送されていました。イタリア語の吹き替え版です。 朝食後、集合時間までに少し時間があったので、ホテル周辺の散策に出かける事にしました。家内は疲れが抜けきらないのか、ホテルでお留守番。 息子と二人で出かけました。

 街角でドラゴンボールの落書きを発見。イタリアでの日本のアニメの人気度を実感しました。

 フォロ・ロマーノは古代ローマ時代の遺跡。細かに見て行っても面白いと思いましたが、時間の都合もありますし、遠くから眺めるだけにしました。


 カンピドリオ広場は、敷石の幾何学模様が美しい広場。

 ビットリオ・エマヌエーレ2世記念堂は、1911年に完成した比較的新しい建物。 地元の人々からは、景観を乱す存在として、「ウェディングケーキ」「タイプライター」「入れ歯」等とちょっと軽蔑した呼び名も存在するらしい。 私は「入れ歯」に一票!

 ホテルへの帰り道、移動店舗のカットスイカが美味しそうで買って帰り、ホテルで旅行中の事を思い出しながら食べました。 とうとうイタリアとはさよならの時がきました。

ローマ空港→香港空港→関西空港→福岡空港

 旅行を思い返せば、それはそれは凄いものを見た毎日でした。いえ、「毎日」ではなくて、「毎時間」凄いものを見たと言っても過言ではありません。 中学、高校時代から・・・長い間憧れ続けていた芸術品には、長い間の憧れが蓄積された玉手箱が用意されているのでしょう。 実物を見る度に玉手箱が解放され、時空を超えた感動に体が包み込まれたのでした。(なんと大げさな!)

 憧れていた物が山ほどあるイタリア。見たい物がまだまだ沢山あるイタリア。お宝の宝庫イタリア・・・素晴らしい!

 今回、20年前の旅行を思い出しながら綴りました。 もちろん思い出せない事も多々ありましたが、感動したそれぞれの場面は、結構鮮明に覚えていました。それだけ見たものが凄かったとも言えるかもしれません。 20年前でも、1年前でも強烈な印象は変わりないと感じます。それにしても20年前です。愕然とするのは、息子の成長です。 当時は小学生でしたが、今は、結婚して子供(つまり私の孫)もいます。自分はあまり変わっていないつもりでも、それだけ歳を取ったという事です。 (玉手箱を開けちゃったから?)

 古典の文字をイタリアの絵画のように強烈に記憶できれば良いのに・・・なんて思ってしまいました。 しかし、これは無理ですね。文字の記憶は創作作品を作るための記憶であり、絵画の記憶は、鑑賞作品としての記憶です。 自分で創作作品を作るための記憶は自ずと深いものでなければ役に立ちません。 さらに、創作作品を作るためには、当然ながら自分の手で文字を書かなければなりません。言わば、手で文字を記憶する必要があります。 重ねて厄介なのは、一つの文字に一つの字形を覚えても十分ではないという事です。 創作ですから、その文字を書く位置、前後の文字等によって字形を変える必要があります。それこそ無限の変化があります。 そんな事を言ってたら、古典の文字を覚える必要性って何なの?とも思えてきます。 それでも、古典に立脚した創作作品を作るためには、古典の文字を覚える事が必要と思います。文字全体をそのまま生かせなくても、部分的に生かす事は可能でしょう。 一つの点、一つの線でも作品に生かす事ができます。その文字の雰囲気を反映させるという事もあるでしょう。 そのようにして、古典を創作作品に生かさなければ、我流になってしまいます。 古典は、誰もが認める規範であり、これを生かしてはじめて薫り高い創作作品が出来上がるものであると私は信じています。 何回も臨書を繰り返して、頭と手に文字を記憶させるしかないのでしょうね。「創作は記憶の賜物」ですから。

2022年10月記


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