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九成宮醴泉銘碑を訪ねて
九成宮醴泉銘碑は、欧陽詢の書。唐の第二代皇帝・太宗が、離宮の九成宮に避暑し、付近を散歩している時、
土に潤いが有るのを見つけた。杖でつついたところ甘美な泉が涌き出たと言う事が碑文に書かれている。
「楷法の極則」と言われており、書に志す人が必ず目にする碑文の一つである。
九成宮醴泉銘。きゅうせいきゅうれいせんめい。その書から受ける印象はもちろんだが、
瑞々しい泉がほとばしる響きを持ったその碑名は、私の意識とは別に、私の頭の片隅にずっと
あったに違いない。それを現実に目にする事ができる機会が来た。期待が高まらないはずはなかった・・・。
2006年10月28日
福岡から約2時間で青島へ到着。青島(チンタオ)ビールの青島である。
バスに乗車すると、まもなく日が暮れる。日が暮れたばかりなのに、深夜になったような気が
したのはなぜだろう。
対向車線の車のヘッドライトがやたらとまぶしい。約2時間で莱州のホテルへ到着後、夕食。
もちろん中華料理。
飲み物は各自で注文しなければならないと思っていたら、注文しないうちからビールが出てきて満足
でした。
参加したツアーは、習字研究社が開催する中国研修旅行である。中国維坊市書法協会との姉妹提携
20周年記念行事参加と、九成宮を始めとする名碑訪問がその主な目的である。
(維坊市の「維」には、正しくは、さんずい偏がありますが、ホームページ上で表示出来ない文字ですので
「維」で代用します)
夫婦や、仲間同士で参加されている方々もいらっしゃいましたが、個人で参加されている方も
少なくないことが分かって来て少し安心。ホテルで同室のTさんは、大変明るい人で、また安心。
10月29日
今日は、雲峰山摩崖石刻見学へ。山の麓にある鄭道昭記念館から見学開始。石段をしばらく登って行く
と碑亭が見えて来た。
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鄭道昭記念館前 |
鄭文公碑亭 (中に鄭羲下碑がある) |
碑亭の中の鄭羲下碑 |
鄭羲下碑は、雲峰山摩崖石刻(天然の岩石に彫られたもの)を代表するものである。碑亭の中に保護されており、
管理人から鍵を開けてもらわなければならない。
碑の一部(といっても岩そのもの)は、碑亭からはみだしている。直方体に切り出した碑
ではないので大変ワイルドな感じ。文字面も凸凹しており、文字の力強さを一層引き立てている
ように見えた。山を登っていくと途中の岩にも数々の石刻があり、うっかり見過ごしてしまいそう。
論経書詩は、鄭道昭のもう一つの代表作。遠くからだと文字は良く見えないので、写真にとるとだだ
の岩にしか見えない。碑の後半は普通にまっすぐ文字が彫られているが、前半は斜めに傾いて文字
が彫られている。前半が彫られた後、地震が起き、岩が傾き、その後、後半が彫られたらしい。
こんな形で地震も碑の作成に参加(?)しているのですね。
石段が整備されているが、こんな山登りをするとは思っていなかった。でも、天気も良く雲峰山頂
(標高約300メートル)からの眺めはすばらしかった。
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論経書詩 (岩にしか見えない) |
雲峰山頂からの眺め |
続いて、大基山へ。ここには、習研の先生方の書が岩山に刻まれている。
その後、バスにて約1.5時間で維坊市へ到着。凧の工場見学。維坊市は、「凧の都」として知られる。
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凧の工場 (とにかく人手の作業) |
どことなくユーモラスな凧工場内の屋根の瓦当 |
この日の宿の富華大酒店は五つ星ホテル。中国で酒店は、酒屋ではなく、ホテルの事。
ホテルの横に遊園地があった。この遊園地もこのホテルの関連施設なのだそうだ。
早速行って見ると、人影もまばらな寂しい遊園地でした。観覧車に乗ろうとしたら、
チケット販売所が10分程前に閉まっており、乗る事が出来なかった。残念! 17時にチケット
販売所が閉まるなんて早すぎですよね。
10月30日
維坊市役所前の広場でバスを降り観光。市役所は大変立派な建物。中国では珍しい青空が広がる。
広場では凧を上げる人が何人か居ました。本物の鳥みたいに
動く凧にびっくり。
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維坊市役所。上方の 黒い点がおじさんの凧 |
中国式の糸車を持っている 凧揚げおじさん |
市内のデパートの中に有る中百美術館にて席上揮毫会の見学、展示作品観覧。
短い買い物の時間の後、
ホテルに一度もどる。次の集合まで一時間ほど間があったので遊園地の観覧車に再トライ。
一緒に行く人を募ったがだれも来てくれなかった。一人で
観覧車に乗るのはみじめな気もしたが、高い所に登るチャンスを見逃すわけには
行かない。5元(約75円)で観覧車に乗る。面白そうな建物が見えたが、それが、次に
行く維坊市博物館で、ここで日中友好書道展と交流会が行われる所である事は
後でわかりました。下の3枚の写真は観覧車からの風景です。
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富華大酒店(ホテル) |
ホテルに隣接した遊園地 |
維坊市博物館 |
日中友好書道展の記念式典および席上揮毫会が維坊市博物館で行われ、その後、
維坊市主催の夕食会が泊まっているホテルで行われた。夕食会のテーブルでは中国人
の隣の席で戸惑ってしまった。今にして思えば、身振りでも筆談でも良いからコミュニケーション
をもう少し取ればよかったと後悔。中国側から、争座位稿のネクタイをいただく。
紺色に白の文字が浮き出た
ネクタイは、通常はなかなか着けにくい気がしました。しかも、書いてある内容が、朝廷における
集会の公式席次を権力によりまげられた事への抗議文です。ビジネスの場で着用するのは
いかがなものでしょう?でも、読む人もいないでしょうから心配する必要ないかな?
10月31日
バスにて青島へ。
清時代には、ドイツの占領下に置かれたためドイツ風の街並みがその特徴と言う。
市内の小高い丘で公園になっている小魚山で市内を展望。教会の鐘の音が聞こえる。頂上には筆先が90°
曲がった筆で壷の中に絵を書き販売しているおばさん、輪を使った手品道具を実演販売しているおじさん
がいました。ここで最初の集合記念写真。
その後、毛沢東も泊まった事があると言う迎賓館へ。私好みの建物です。
石の飾り物が入った陳列ケースに心を動かされる。陳列ケース、送料込みで150万円との事。
私が、「欲しいけど、我家は狭いから飾る場所がないなあ」と口走って
しまったら、ある人から「私の家に飾ってあげるよ」と言う、ありがたい提案を頂きました。
(ところで、後に訪れた上海では、同様の物が75万円で売ってました)
迎賓館から出る時に、テレビドラマの撮影があっていて、一時出口を封鎖されてると言うハプニングも発生。
旅行中、この時撮影していたテレビドラマが放送されていたそうです。
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迎賓館 |
魂を奪われそうになった 石の陳列ケース前の私 |
バス中で同行の方から頂いたのど飴が美味しくて、青島空港でドロップを買う。
飛行機で西安へ約2時間の行程。夕食時に薬用酒と繊維の塊のような不思議なお菓子の
試飲、試食がある。どちらも気に入ってしまった。3個目は半額の値段になると言うので、
それぞれ2個ずつ買うつもりが3個ずつ買ってしまう。お酒や、外観が変なお菓子は、試飲、試食
をしないと買うことはないでしょうね。中国人商売うまいあるよ!
10月31日
碑林へ。あこがれの名碑の数々に会えて感激!一日に一つの碑を見るくらい
じっくり見たいのだが、短時間に多くの碑を見なくてはいけないとは酷な話である。
やたらと自分を入れて碑の写真を撮ってもらいたがる私であった。こうして見ると、
私がただ突っ立っているだけの写真が何枚もあり、どうしようもないですね。
おもしろいのは争座位稿。
写真では良く分かりませんが、文字が90°右回転した形で鎮座していました。
元々別の碑があった裏に争座位稿が彫られたそうです。それで、裏には正立した碑があり、
争座位稿は90°回転しているそうです。元から有った碑より、争座位稿の方が有名になって、今は
争座位稿の方が表にあります。
拓をとっている部屋は墨の良い匂いがした。有名な碑はガラスに囲まれていて、
新たに拓が取られる事はほとんどないと言うが、有名な碑の拓本も売られているのはなぜ
でしょうね。
それからバスで九成宮へ向かう。途中石灰石の採掘場がある。道に石灰石のとがった石が落ちていて
車は良くパンクしたそうである。とにかく山の中。西安からなんと4時間かけて九成宮に到着した。
冒頭にも書きましたが、九成宮は、唐の皇帝の離宮でした。唐の都の西安(当時は長安)から、180
kmも離れた、こんなへんぴな所に、何で宮殿を建てたのか?と思ってしまいます。しかし、
この地は、隋唐時代の避暑地として有名で、九成宮以外にも、離宮、寺、摩崖仏等多くの文化
遺産が残っているそうである。絶大な権力をもった皇帝にしてみれば、180kmの距離は、何の問題
も無かったのでしょう。
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石灰石の採石場 |
碑亭の前の門 (前で遊ぶ子供達) |
九成宮醴泉銘碑 碑亭 |
ついに九成宮醴泉銘碑とご対面。でも、碑亭の入口上部にある碑名がなければ何の前で
写真を撮っているのか分からないのが悲しい。
九成宮には、数々の落書きも彫られている。碑を作るにしても落書きを彫るにしても、やはり人間は
彫る事は本能的に好きなのではないかと思ってしまう。
碑は、ガラス板の向うで直接は見られない。ガラス越しではやはり良く見えない。
写真も光が反射してなかなか良く撮れない。
落書き等をする一部の心無い人々のために、大勢の人たちが良く見られなくなってしまうのは
何と悲しい事かと思う。触るのを禁止されるのは仕方ないかもしれないが(本当は触りたいが)、
直接見る事は許してもらいたい。それにしても、美術館などでガラス越しに作品を見る事は
特別珍しいことではないが、それほど煩わしく感じた事はないのはなぜだろう。碑を近くで
見ようとするためか?絵画や書を見る時にも目を近づけて見る事はありますよね。
碑に接するようにしてガラスが取り付けられているから煩わしく感じるのでしょうか?
展示方法は、何とかならないのでしょうかねえ。
宮殿があった山に登るが草ぼうぼうで見る影も無い。かなりの急斜面もあり、この旅行での
2度目の登山となる。
観光客としては西安の碑林に移動してもらいたい気もしますが。九成宮は、九成宮址にある
からその価値があると言えます。
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見事な碑首 |
九成宮址 (宮殿があった山) |
九成宮址から見た碑亭 |
バスで西安へ戻る。再び約4時間の長旅・・・。
11月2日
大雁塔へ。塔の南側入口の西に「聖教序碑」、東に「聖教序記碑」がある。この二碑を合わせて
「雁塔聖教序」と呼ぶ。
ガラスの壁はないが、奥まった所にあり手前には鉄格子。字はほとんど見えない。
碑林とは異なるいらだたしさを感じる。
碑を見た後は、例によって高い所へ登りたくなる。中に入ると売店もあり、結構綺麗であった。
七層の塔は登るのに一苦労。最上階に着くと良い眺め。でも、小さな窓からしか望めない。
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大雁塔 |
大雁塔最上階からの眺め |
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違った顔が並んでいる瓦当 |
兵馬俑坑は、
かねてから一度は訪れてみたいと思っていた場所。でも、あまりにも想像の世界を膨らませすぎてい
たせいか、とてつもなく大規模な物とは思えなかった。(これはすごい物に麻痺している感覚で、
海外旅行には付き物の感覚です。??)
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秦兵馬俑博物館 一号坑(一番規模が大きい坑) |
函谷関は、西安と洛陽の間にあり、昔はこの2つの町を行き来する途中で必ず通らなくてはならない
関所でした。
日本の唱歌『箱根八里』で「箱根の山は天下の険 函谷関もものならず」と歌われています。
山深い所にあるのかと思っていたら、結構開けた所で、この関所を通らなくても
いくらでも道はありそうな感じ。狭い日本とは、違うのかな?(もっとも、私は箱根に行った事が
ありませんので比較出来ませんけど)
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バスから見えた黄河 (大河に見えない) |
函谷関 |
函谷古道 (さすがに狭い道) |
千唐志齋に着いたのは19時頃。既に日は落ちて真っ暗。懐中電灯の明かりを頼りに庭を歩く。部屋に入ると、
壁に墓誌(死者の事をしるした石碑。棺と共に埋める)がたくさん塗り込められている。
部屋の外の柱にも塗り込められており、あたかも
レンガの代わりに墓誌が使われているようである。墓誌は、土の中に埋められていたので
綺麗なのだそうである。王鐸、呉昌碩、董其昌、鄭板橋等、名立たる書家の作品の
碑もあった。残念ながら、写真撮影は不可であった。
ここが開いているのは通常17時までなのですが、私達のために、遅くまで開けてくれていた
そうです。この時間になると、職員の方の帰りのバスがなくなるそうで、代わりに私達のバスに
乗って帰ってもらいました。暗い中での見学(しかも墓誌の見学)だった事もあるかもしれませんが、
なんとも不思議でちょっと不気味な博物館でした。そうですね、妖怪が出てきても不思議がない
ような雰囲気でした。ホテルに着いたのは21時頃だったでしょうか。
◆中国トイレ事情
中国のトイレがひどい話は時々聞きますが、私は初めて遭遇しました。
最初にびっくりしたのは、維坊市のデパートのトイレ。立派なデパートでしたが、大用トイレに
ドアが無く、腰位の高さの仕切りが横にあるだけ。九成宮にあったトイレは、同じような仕切りで、
便器はなく、細長い穴があいているだけでした。
さらに、千唐志齋では、大用トイレに仕切り壁が全くないのです。一人で用を足すならまだ良いでしょうけど。
隣にどなたかがいらっしゃたら、落ち着かないでしょうね。
それから、ひどい話ではないですが、維坊市のホテルでフロント近くのトイレに行ったときの事です。
トイレのドアを開けると、半畳ほどの部屋がありました。さらに奥のドアを開けようと思ったら、中から
ドアを開けてくれる人がいました。少々驚きましたが、たまたまトイレ掃除に来ていた従業員の方かと思い、
そのまま
用を済ませました。そして、手洗いをしていると、その従業員の方がそばによって来て、おしぼりを金バサミ
でつまんで
差し出してくれるのです。これにも、また驚きました。「謝々」と言って出てきましたが、後で考えて見ると
あの人は清掃の方ではなく、おしぼりを差し出す係りの方だったのでしょう。出来れば一人にして置いて
欲しいトイレで、このようなサービスはあまり気持ちよく感じられませんでした。
でもサービスを受けた時には、チップを渡さなければならなかったのでしょう。
その時は驚きで頭がいっぱいでチップの事をその時思いつきませんでした。チップを渡す習慣が身についてい
なくてごめんなさい。
11月3日
龍門石窟見学。いよいよ私がもっとも見たかった場所を訪問します。駐車場は石窟が有る場所から
1kmほど離れた場所に作られていました。これは、バスなどの振動が石窟に悪影響を及ぼさな
いようにするためだそうです。石窟まで歩いて行ける距離ではありますが、皆さんと一緒に
小型の電気自動車に乗って石窟の入口に行きました。電気自動車は有料ですが、時間ももったいな
いですからね。電気自動車代を稼ぐためにわざわざ駐車場を離して作ったのでしょうか?
壁面と言う壁面に無数の彫刻がしてある。岩全体が印材みたいに彫るのに適しているのですね。
中国人の美的感覚、手先の器用さ、製作した人々の数、使われた時間・・・どれを考えても
気の遠くなるような世界に飲み込まれて行きました。
残念な事にほとんどの仏像が破壊されています。アヘン戦争以降、石窟は列強(日本も含まれる)
の略奪行為にさらされて来たのです。
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電気自動車に乗って龍門へ |
蜂の巣のように窟がある |
龍門石窟内にある奉先寺 |
とうとうたどり着いた古陽洞。龍門石窟の書に関する見所はこの古陽洞に集中しています。
ツアーで特別参観料を払ってあり、通常は入れない洞内に入れました。
龍門石窟の書物は日本で購入して読んでいて、特に古陽洞については、イメージを描いて
いましたが、だいたいその通りでした。外の光で洞内も比較的明るい。
ここにある始平公造像記を、ぜひ見たいと思っていました。
しかし、造像記は、小さかった。そういえば、造像記の寸法は気にしていませんでした。
造像記は、小さいですし、上の方にあるので、とても鑑賞できるような環境ではありませんでした。
でも、仏像や、紋様は間近に見る事が出来、時間の許す限りじっくり見てきました。
内部は写真撮影禁止だったのが残念(写真撮影の許可も金次第らしい)。
古陽洞の下に売店があり、龍門二十品(龍門の造像記の中でも優れた20種を集めた物)の拓が売って
ありました。興味深げに見ていると、店員が日本語で話しかけてきました。
【店員】「龍門二十品、5万円」
《 私 》「・・・」
【店員】「3万5千円にしましょう」
《 私 》「始平公だけ売って」
【店員】「これはセット販売で、これだけを売ったら商売にならない」
《 私 》「始平公だけしかいらない」
【店員】「では、5千円!でも全部の方が安いよ」
《 私 》「始平公だけ、3千円!」
【店員】「間を取って4千円!」
と言う事で、4千円で購入しました。店員は、始平公だけ売ると商売にならないと言ってましたが、
きっと始平公は補充してセット販売するのでしょうね。多分、コピーした造像記で拓を取っている
のでしょう。しまった!この話は、内緒の話でした。忘れてください。
(我家には、本物の始平公造像記の拓が飾ってあるかもしれませんので・・・)
昼食では、TさんとHさんの間の席に座りました。この中国旅行で見るべきものは、全て見てしまった
と言う満足感も働き、ビールを昼間からガブガブ飲んでしまいました。
鄭州空港から、最後の訪問地上海に向かいました。到着したのは、見覚えの有る上海虹橋空港でした。
上海ではほとんど時間が無く、お土産店に寄った後は直ぐに「さよなら夕食会」でした。
チャイナドレスに着替えて参加される方もいてびっくり。ここでの夕食は個室でした。この旅行
に参加する前は、話した事がない人ばかりでしたが、書と言う共通の関心事を持ち、また、
旅行と言う非日常的な体験を通じてグループの一体感を感じました。宴会が中盤を過ぎると、
歌や踊りが飛び出して大変盛り上がり
ました。カラオケ無しですよ!私も何か歌おうかと考えましたが、歌詞を覚えている歌となると
ほとんど無いのですね。しかも、私よりも年配の方が多い・・・。
思いついたのが石川さゆりの「津軽海峡冬景色」。結局それを歌いました。宴会後には、
上海の夜景を見てホテルに帰りました。
ところで、石川さゆりは、
熊本市の出身ですが、小学校で、私は石川さゆりと隣のクラスだったのですよ。1学年が2クラスの小
さな学校ですが、私の記憶には、石川さんと言う人が居たような・・・程度の記憶しか残念ながらありません。
11月4日
とうとう帰国の日です。維坊市でもらったネクタイを着用してホテルのロビーに出たら、
皆さんの注目を集めてしまいました(左の図はネクタイの柄の一部です)。全員もらったネクタイな
のですが、旅行の途中で着用する
人はいなかったですからね。その日は朝から上海浦東空港に向かいました。リニアモーターカーは
、バスの中からチラッと見えました。良い天気でした。今回の旅行は全工程、天候に恵まれ
本当に良かった。
飛行機が離陸すると
機内食が配られましたが、飲み物は後で配られるようです。ビールをもらってから機内食を食べよう
と、待っていましたが、なかなか、飲み物を配ってくれません。やっと配ってくれた
ビールをのんで、欲張って追加のワインを手にした
ところで、まもなく福岡空港に到着するとのアナウンス。残りの機内食をあわててかきこみました。
旅の余韻を楽しむ時間なんてありませんでした。上海〜福岡間は、東京〜福岡間と変わらないですからね。
福岡空港についてから、簡単な解散式があり、それぞれの帰路に着きました。
思い返せば、壮大な中国2000年の文化史を垣間見て来た旅でした。
つくづく大変な物を見て来たものです。また、先生方の書に対する熱意もひしひしと
感じる事ができました。今後、私はどのような道を歩んで行くのでしょう。その道程に今回の旅行の
思いを生かして行きたいと強く思いました。
個人での参加でしたが、習字研究社の方々、添乗員の方々のお陰で楽しい旅行でした。
皆さん、大変お世話になり、ありがとうございました。お疲れさまでした。
2006年11月
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