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印式


「白水」

 もし、伝統的な漢字作品に三角形の落款印が押してあったらどう思うでしょうか? 「変な印」等の印象を持つと思います。落款印は、一部の変形印を除いて、 ほとんど四角形なのです。秦漢代から、印は四角形が正格であり、 文雅の用途に四角形が使われてきたという歴史があるからです。 冒頭の印は、わざと奇異な印をパソコン上で作成しました。

 もし、あなたが四角形だけども、印文が変な落款印が押してある書作品を見たらどう思うでしょうか? 「変な印」と思うでしょうか?印文が変な事は、なかなか気づかないでしょう。 変な印文の落款印は、三角形の印と同じくらいに「変な印」なのですが、 それに気づくためには、大きな山を三つ越えなければなりません。

1)印文を読む
 書を鑑賞する際、少字数作品は別として、その全文を隅から隅まで読む人は希でしょう。 ましてや小さな印の印文まで読む人はさらに少ないと思います。 印文を読んでいくマニアックな人がいる事も否定しませんが、極少数でしょう。 そもそも、印文を読む必要性自体がないとも言えます。ただ、印文を読もう、という意思さえあれば、 この最初の山は乗り越えられます。

2)篆書を読む
 印文の多くは篆書です。楷書から推定できる文字もありますが、篆書を読むのは、なかなか大変です。 しかし、篆書を少しずつ覚えて行けば、知らない文字に出会っても部首を頼りに調べる等ができるようになります。

3)印式を知る
 落款印を刻する時の規則の事を、印式と言います。 印文が読めても印式を知らなければ、正しい印であるかを判断することができません。 印にも関心のある書家を除けば、印式を知っているのは篆刻家に限られるでしょう。 この最後の山を乗り越えるには、印式の勉強をしなければなりません。

 篆書が読めない人も、自分の印の印文は読めるはずです。 しかし、落款印の作成は篆刻家に依頼する場合が多いでしょうから、印式まで考えが及ばない人も多いと思います。 篆刻家に、姓名と雅号を伝えるだけで印式は篆刻家にお任せになっていませんか? 世の中には少々怪しい篆刻家も存在するようです。自分で使う落款印について、印文をどうするべきか、 関心を持っていただかないと、知らず知らずのうちに、印式を無視した「変な印」を買わされ、 使っていく事になりかねません。

 落款印は、姓名印は姓名を、雅号印は雅号を刻せば良い・・・全くその通りです。 しかし、小さな印面に多数の文字を入れられないという現実的な問題を解決しなければならない場合もあります。 そして、姓名印に特有な「回文」という表現方法を正しく理解する必要があります。
 落款印の文字の入れ方の規則、つまり印式は、決して難しいものではありません。 しかし、やっかいなのは、篆刻特有の規則である事と、法律みたいに一元化されたものではない事です。 印は、古来から多くの人々によって作られてきましたので、色々な作り方が存在します。 しかし、大多数の篆刻家が従う規則は存在します。 ここでは、誤解されやすいポイントに絞って印式を述べます。

◆姓名印◆
 姓名印は、個人を特定するためのものですから、姓名をすべて入れるのが基本です。 しかし、小さな印に多字数を入れるのが困難な場合があります。 このような場合、一番のお薦めは、姓を省略して名のみの印にする事です。つまり名印にするのです。 名印を姓名印の代わりに使う事は全く問題ありません。 多字数でなくても、将来、結婚等により姓が変わる可能性がある人は、名印にしておくことを強くお薦めします。 姓が変わったために、姓名印を作り直すというのは無駄です。篆刻家としても精魂込めて作った印が使われなくなるのは残念です。 刻料欲しさのために、再度印を作り直す事を喜ぶような篆刻家の事を貪欲家と言います。

 注意して欲しいのは、名の方を省略して、姓印にしてはいけないという事です。 姓印は、古印の例が少ないです。印として正式なものではありません。 印が流用(特に親族間で)されやすい姓印は、個人を特定するという目的にそぐわないのです。 「我が邦では姓だけを刻した印は俗用の認め印として広く通行しているが、 これが文雅の用に供せられることはない」2)とまでいう人もいます。

 姓の一部、名の一部を省略するという方法もあります。 例えば、日下部鳴鶴の本名は「日下部東作」ですが、姓の一部を省略して「日下東作」とした印があります。 この方法は、どのように省略するかという課題に直面します。慣れない人は避けるのが賢明です。

 姓名印は落款印の中で最も重要なものですから、白文(文字が白)が正格です。 これは秦漢以来の官私印が白文であったからです。 姓名印を初めて作られる場合は、白文印をお薦めします。 しかし、朱文(文字が朱)にしてはいけないという事はありません。 もし、同じ大きさの姓名印を複数作られる場合は、 朱文印も用意しておくと作品に変化を付けられて面白いと思います。

ここで、突然クイズです。
印式に従って作られた、この姓名印の主の姓、名は、それぞれ何でしょうか?
【答】
姓・・・吉高
名・・・文

それでは、次の印の姓、名は、それぞれ何でしょうか?
【答】
姓・・・吉
名・・・高文

そうなのです、印の中で改行された所が「姓」「名」の切れ目になっているのです。 言い方を変えると、「名」が印の中で切り離されないようにするのです。

さて、ここからが本題で、篆刻に特有な「回文」についての説明をします。
姓名合わせて三文字と言うのは四角い印には、収まりが悪い場合があります。 その時には、最後に「印」字を加えると言う方法があります。 名印で二文字の時は「之印」の二文字を加えても可です。
吉高-文さんの場合は、二行目に「印」字を加えます。普通に右行から読んで行けば良いです。
  

吉-高文さんの場合は、一行目に印を入れるのが姓名印の印式なのです。 先に説明したように、「名」が印の中で切り離されないようにしているのです。
  

このように左回りに読ませる印文を「回文」と呼びます。

 回文を拡大解釈して、篆刻作品に使われる事があります。例えば、「朝三暮四」という印を作る場合、 普通に作ると、字画が密な字が上に並び、印面上の収まりが悪くなります。
    

これを回文方式で作ると、次の様になります。
    
こうすると、密な字、疎な字が対角線上に配置され、印面に上手く収まってくれるのです。 このように、篆刻作品に回文が使われる事はあります。 しかし、そもそも回文は姓名印において、姓と名の区切りを明確にするために用いられるものです。 篆刻作品でも印面上の収まりが良いからと言って、むやみやたらと使うものではありません。 ましてや、姓二文字、名二文字の姓名印を回文にするのは、回文の誤用であり、姓名の誤解を招きかねません。

◆雅号印◆
 雅号は、ほとんど二文字なので、そのまま印面に入ると思います。雅号印に「印」字を加える事はありません。 雅号印は姓名印(白文)に連ねて捺される事も多いので、朱文にして陰陽を構成する場合が多いです。 初めて雅号印を作られる場合は、朱文印をお薦めします。 しかし、決まりはありません。同じサイズの印を複数作られる場合は白文印があっても良いでしょう。

結論
 落款印も自由な創作作品であると言う人に対しては、何も言う事はありません。 しかし、古典に立脚した作品作りを目指している、ましてや標榜する書作家ならば、 伝統的な印式に従った落款印を使うべきです。 身近な先生の作品だけを参考にしている方は要注意です。 中国なら明清、日本なら明治〜昭和の歴史に残るような大家の作品を参考にしましょう。 大家と言われる書家は、篆刻に対する造詣も深く、一流の篆刻家の印を使われています。 身近な先生と歴史に残るような大家のやり方が異なっている場合、どちらを信じるかはあなた次第です。

追記
 今回の落款印について言いたい結論は、前に書いた落款文について言いたい結論とほぼ同じになりました。 前に書いた落款文についても是非ご覧ください(下記)。
ここが変だよ日本人の落款

参考文献
1)篆刻叢書 印例シリーズ 姓名字号印 蓑毛政雄著 東京堂出版
  おすすめ! 印例が豊富です
2)モノをいう落款 北川博邦著 二玄社
  おすすめ! 落款文の参考書としてもおすすめです
3)季刊篆刻 臨時増刊1 東京堂出版
  この本の記事を元に、加筆してあるのが1)の本です
4)書道文化講演会「書の款文と落款印」資料 和中簡堂(2007年2月25日熊本市)
  講演会の時にもらったコピーなので入手困難

2024年10月記


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