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楽しいスイス

 エジプトに行きたかったな・・・。今年の夏は、エジプトに行くはずでした。 旅行の予約は早々と済ませて、ガイドブック等を読んで、その気持ちが高まってきた3週間前の事 でした。エジプトのシャルム・エル・シェイク でテロが発生しました。 旅行開始日が迫っていました。今、旅行をキャンセルするには一人5万円、 4人分で20万円のキャンセル料を取られてしまいます。困ったな・・・。 家内と二人で旅行会社に行きました。「テロがあっても、ツアーの安全上問題ないとの判断の上で、 旅行は催行される」との事でした。私としては、エジプトに行きたくて仕方ありませんでしたし、 テロリスト達も周到な計画を立ててテロを実行したばかりですから、今はかえって安全ではなかろうか (何と勝手な判断!)等と思っていましたので、「それでは、予定通りエジプトに行きます」と言いたかったのです。 でも、家内はそんな所に子供達を連れて行けないと言います(旅行に行かないとは言いませんでした)。 私にテロリスト達の行動を予知する事は 出来ませんので、ここは、家内の言い分に耳を傾けざるを得ませんでした。「自分たちの勝手な取り消 しではなく、テロと言う、危険を感じての取り消しですし、御社の別のツアーに申し込む から、取消料は何とか(はっきり言うと無料に)出来ませんか?」という事もお願いしました。 でも、ホテルを確保するために旅行会社はホテルに申込金を既に払っているらしく、「検討させてくれ」 と言う事でした。別の旅行先については、スイスが第一希望と言う事を伝えて、適当なツアーを 探してもらう事にしました。後日、キャンセル料は半額にしてくれると言う連絡がありました。 また、スイスのツアーに空きが有ったと言う事でそれをお願いしました。 スイスもいつかは行こうと思っていた国の一つですので旅行の順番が変わっただけと 思わないとしかたありません。
 でも、旅の楽しみは、旅行中だけではありません。旅行先の事をあれこれ調べて、ここではどんな景色が 見られるのだろうかとか、ここにも立ち寄って見られるだろうかとか、あれこれ想像を膨らませる のが大変楽しいのです。ところが、今回は旅先が急に変更になってしまったので、スイスについて 勉強する時間があまり取れませんでした。スイスに行くなら ば、是非見ておこうと思ったのが、「アルプスの少女ハイジ」でした。高一の長男は、そんな 私を笑ってましたが、私にとっては至極当然な事でした。「アルプスの少女ハイジ」の事は知って ましたが、まともに見た事はなかったのです。小説もあるでしょうけど、風景を見たい私には、 マンガの事しか頭に浮かびませんでした。大変な長編アニメで、旅行前には、少ししか見られません でしたが、スイスの風景をマンガで見ることが出来て、また、素直で可愛らしいハイジの物語に 心が温まりました。 とにかく、今回の旅行はスイスです。エジプトの事は忘れて、楽しんで来なければ損です。
 チューリッヒ空港到着後最初に向かったのが「アルプスの少女ハイジ」の故郷であるマイエンフェルト です。 スイスのワインは、品質を保つため、生産量を制限しているぐらいで、結構おいしいらしい。 また、国内の消費量も多いので、スイスワインが輸出される事はあまりないそうです。 ここ、マイエンフェルトもワインの産地で、ブドウ畑が多く見られました。 添乗員の勧めもあり、ハイジの泉近くの売店でグラスワインを飲んでみました。 とてもおいしかったです。(でも、本当は、味音痴の私には、ワインの味はよく分からないのでした)
ハイジの泉
ハイジの家
ハイジの家近くを散歩して

 ハイジの物語は世界中で翻訳されており、いろんな顔のハイジの挿絵がありました。日本のハイジ しか見たことがない私は、「え!これがハイジ?」と思ってしまいました。
 スイスの風景と言えば、牧草地を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか? 牧草地は、アルプスの自然そのもののように見えますよね。でも、実はこれは、何世紀にもわたる 絶え間ない森林破壊の結果なのだそうです。日本の山岳であったら、このような森林破壊は、山崩れ 等を引き起こすでしょう。でも、スイスは、雨が少ないですし、高い山は岩の塊で、自然界にダメージを 与えることがなく、牧草地があたかも初めからそこにあったかのように自然と調和しているのだそうです。
 その日のうちにサンモリッツに移動しました。サンモリッツは高級リゾート地として知られた町です。 ホテルについてから、夕食まで時間が少しあり、添乗員さんとバス運転手さんの好意でサンモリッツの中心街 まで連れて行ってくれるという事になりました。 私は中心街から少し離れたセガンティーニ美術館に 行って見たかったのでその由言うと、なんとそこまで送ってくれました。 ジョバンニ・セガンティーニ(1858〜99)は、サンモリッツのあるエンガディン地方を こよなく愛し、アルプスの風景と生活を描いた画家です。美術館の外観はとてもユニークな 形をしています。特に2階のドーム型の部屋は「誕生・存在・消滅」の3部作を飾るために 作られていて、何ともいえない雰囲気がありました。 美術館からの帰りは歩いてホテルまで帰りましたが、綺麗な町並みと湖を見ながらの散策は楽しい ものでした。 ホテルのレストランのウェイターもちょっと 気取った感じで、高級リゾート地を演出しているかのようでした。サウナ(宿泊者無料!)も利用 させてもらいました。海外でサウナに入るのは初めてでしたが、広いサウナに私以外に誰もいませんでした。


 翌日は、世界一”遅い”特急列車、氷河特急にのり、途中のすばらしい眺めを見ながらアンデルマットへ 向かいます。途中の景観を見せるため、わざとゆっくり走るそうです。  流れている川は青白い色をしています。これは、氷河の氷が溶けて流れてきた水で、グレイシャーミルク (氷河のミルク)と言われています。きっと氷河で削られた極めて細かな石のくずが多数含まれているか らでしょう。細かな石のくずでピンと来ました。印材の形を整える際に、私は水を流しながら、水ペーパ を使います。石を水ペーパで削ると水は白色になります。こんな所にも篆刻との共通点があったとは驚きです。 石くずは魚のエラ呼吸をじゃまするそうで、魚はほとんど住んでいないそうです。
青白い川
車窓から見えた小さい教会
ランドヴァッサー橋
 途中から雨が降って来てしまいました。氷河特急はアンデルマット降りて、バスに乗り換え、 マッターホルンの近の町 ツェルマットへ向かいます。その途中、フルカ峠を越えたわけですが、この峠への道はつづら 折の山道でおまけに吹雪になってしまいました。狭い道をバスで進んで行くのが怖いくらいです。
 吹雪の真っ最中にローヌ氷河の展望台に着きました。8月なのに吹雪です。スイスの気温が低いのは 予想の範囲内でしたが、ここまで本格的な吹雪に会うとは思ってもいませんでした。少し坂道になっている のですが、積雪で滑らないように用心して歩きました。展望台について、皆が見ている方を見ると、 吹雪の向こうに辛うじて氷河が見えました。旅行が始まったばかりでこんな天気なので先が思いやら れました。
 話を一時氷河特急に戻します。この特急が走り始めた当時は、その名の通り車窓から氷河が 見えていたそうですが、今は見る事が出来なくなってしまいました。
では、ここでクエスチョンです。
「なぜ氷河特急の車窓から氷河が見えなくなってしまったのでしょうか?」
 1)木々が茂って氷河が見えなくなった。
 2)地球温暖化が進行して氷河が溶けてしまった。
 3)トンネルが出来て氷河が見える所を通らなくなった。
正解はここをクリック して下さい。
 バスは、テーシュと言う駅で降りて、電車に乗り換えます。マッターホルンの麓の町 ツェルマット(本日の宿泊地)まで、あと一駅です。それくらい、そのままバスで行けば 良さそうなものなのですが、ツェルマットは環境保護のため、ガソリン車の乗り入れが 禁止されている町なので、電車に乗り換えなければならないのです。 ツェルマットに着いて、マッターホルンが良く見える場所に連れて行ってもらいました。 大して広くもない場所でしたが、我々のツアー客(21人)以外にも多くの人々がカメラを 構えて待っていました。しかし、マッターホルンは雲の中にあり、時折、マッターホルンの 裾野らしき物が見えてきて「お〜」と言うような、どよめきが起こりますが、また雲の中に かき消されてしまいます。しばらく待ってもその様な状態でしたので、あきらめてホテルに向かいました。

 翌朝、登山電車に乗ってマッターホルンが良く見える(はずの)ゴルナーグラード展望台に 向かいます。相変わらずの曇りでマッターホルンはおろか、車窓の風景も霧に邪魔されて 良く見えません。ここまできて、マッターホルンを一度も見られないなんて悲しい・・・ なんて思っていたら、霧の中から三角の形がみるみるうちにはっきりしてきて・・・、電車の中は 「うわ〜」と言う声に満ち溢れて一時騒然とした雰囲気になりました。あのマッターホルン がくっきりと見えてきたのです。前日からの曇天もあり、半分あきらめ気分でいた所に 見えてきたものだから感動もひとしおでした。

 ゴルナーグラード展望台(3089m)で景色を楽しんだ後、電車で一駅下った駅(ローテンボーデン)から 次の駅(リッフェルベルグ)まで、約1時間半のハイキングでした。 リッフェル湖での、「逆さマッターホルン」も良く見えました。雲一つない風景は絵葉書の様 にきれいで、まるで夢の世界を歩いているようでした。もう、この景色を見られただけで、 はるばるスイスまで来た甲斐があったと言うものです。
ゴルナーグラート展望台より
良く見えたマッターホルン
リッフェル湖
(写真をクリックすると拡大)
 マッターホルンとは、「牧草地の角(つの)」と言う意味でだそうです。なんだか平凡な意味ですが、 牧草地を手前にして眺めるとその名前もうなずけます。
 マッターホルンを見ていて何かに似ていると思いました。マッターホルンは、周囲を氷河で 削られて残った山です。削られて残ったもの・・・、篆刻の彫り残しと同じだ! 氷河は大地を鋭く削って行きます。そうだったのか!大地が印材で、氷河が印刀なのです! 彫り残しもここまで見事に残ったとしたら、作品になってしまうような気がもします。 でも、印材を作品として出品するわけではありませんから、彫り残しは彫り残しに過ぎない ですねえ・・・。それにしても、氷河が大地を力強く鋭くえぐった後は見事なものです。 作品を作る時に、この力強さを表現できれば・・・と思いました。

 ツェルマットの町に戻り、少しの自由時間がありました。ツェルマットの町からもマッター ホルンが大変良く見えました。

ツェルマットの
メインストリート
ツェルマットから見た
マッターホルン
マッターホルンと教会
それから、国境を越えフランスのシャモニーに向かいました。 シャモニーは、モンブランの麓にあります。モンブランはヨーロッパの最高峰ですが、 モンブランの周りの山もかなり高い山です。どれがモンブランだか最初は分かりませんで、 ガイドブックの写真とにらめっこしてやっとモンブランが分かりました。この日は、 ここで泊まりです。

 モンブランの近くの山に、人差し指を立てたような物が立っています。それがエギーユ・デュ・ ミディ展望台なのです。なんと恐ろしく高い所に展望台を建てたものです。このすごさは、 ガイドブックを見ても良く分かりませんでした。下の写真で分かってもらえるでしょうか?
モンブラン近くの高い山々の
一つがエギーユ・デュ・ミディ
エギーユ・デュ・ミディの山頂
に何やら人工建造物が・・・
何とそれが展望台です
 シャモニー(1030m)から、ロープウェイでエギーユ・デュ・ミディ(3802m)まで、 ロープウェイで登ります。この時点で富士山(3776m)より高い所に来ています。 ここから、さらに3842mの展望台まで、エレベータで登るのです。
 このロープウェイは、途中に中間駅がありますが、それ以外に途中の支柱が無いのです。 このロープウェイの登る高さを富士山で考えて見ましょう。富士五湖が海抜1000m付近に ありますから、ちょうとシャモニーの海抜(1030m)に相当します。つまり、富士山の麓から、 富士山頂行きのロープウェイがあるのと同じなのです。それを20分程度で登ってしまいます。
 高山病対策として、前日からアルコールは控え、当日は高山病の薬 (現地で入手)を飲んで、水分補給を十分にしていました。家族全員高山病にはなりませんでした。
 ここでも、天候に恵まれ、すばらしい景色を堪能することが出来ました。下の写真で一番高い山が もちろんモンブランです。

 帰りのロープウェイでシャモニーに着く直前、長蛇の列が見えてびっくりしました。その人々は、 みんなロープウェイの順番待ちだったのです。ロープウェイから降りてから昼食をとり、レマン湖畔 のシヨン城へ向かいました。
 詩人バイロンの「シヨンの囚人」で有名なレマン湖畔のシヨン城に立ち寄りました。地下牢はさすがに 気味悪い所でした。バスに乗り、ベルン経由で ユングフラウを望める町、インターラーケンに入りました。今日はここで泊まりです。この町の時計屋 で、旅行中破損した腕時計のバンド金具を修理してもらいました。修理代が気になりましたが、 2スイスフラン(1スイスフラン=約90円)で、何よりも直ぐに修理してくれたので、 気持ちよかったです。
 カジノ・クアザールの美しい前庭。建物の中には入りませんでした。
 クレジットカードでATM(現金自動預払機)を初めて使って見ました。簡単に現地通貨で お金を引き出せますのでとても便利ですね。それから、クレジットカードが使える公衆電話もよく 見かけました。最初、使い方が良く分からなかったのですが、クレジットカードを差込口に ぐっと最後まで入れるのがポイントでした。
 夕日に映えるユングフラウ。明日行く展望台は、写真の矢印付近に あります。ここも、「大変な所」のようです。


 翌日、グリンデルワルト・グルント駅からロープウェイにてメンリッヒェン駅へそこからアイガー、 メンヒ、ユングフラウ等の山々を眺めながら、約1時間半のハイキングです。途中で花々を眺めな がら、放牧牛のカウベルの音を聞きながら、下り中心の快適な道でした。なんとまあ、ぜいたくな ハイキングでしょう。カウベルの音を聞いていると、ああ、このままここで牛になってしまいたい! と思ってしまいました(おいおい、家族はどうなるんだ)。下の写真のアイガー、メンヒ、ユングフラウは、 この地方(ベルナーオーバーラント)の三名峰です。
ロープウェイ グルント駅
背景はアイガー北壁
中央の山がメンヒ
道はこんな感じで楽ちん
ユングフラウが正面に。手前
は、クライネシャイデック駅
 ハイキングは、クライネ・ シャイデック駅で終わりです。この駅周辺の草原にておにぎり弁当を食べ始めました。そこへ、一匹の ヤギがやってきました。このヤギが相当にずうずうしく、弁当に顔を突っ込んで来るのです。弁当を 持ち上げると、今度は足元に置いているリュックサックに顔を突っ込もうとします。リュックサック をしっかり閉めて、一同弁当を持って立ち上がってしまいました。なんともはや、あわただしい 昼食でした。
 クライネ・シャイデック駅からユングフラウヨッホ駅までの登山電車に乗りました。この電車は、 アイガー、メンヒの山の中をくり抜いて通っています。電車は途中で止まって展望窓から 外を見る事ができます。グリンデンワルトの町のある一面緑のさわやかな風景が見えるのですが、 その展望窓は、なんとアイガー北壁にあるのです。つまり、その展望窓の景色は、アイガー北壁 にそれこそ命がけで登った人が見た景色に相違ありません。それを何とまあ電車で登って見られ るのですからびっくりしますね。
 電車はもう一回停車します。そこは、アイガーの南側の景色が見えます。この方向には、高い山々 が連なっていて、先ほどの緑の世界とはうって変わってあたり一面雪と氷の世界です。
 登山電車は終点のユングフラウヨッホ駅に到着しました。この駅は、トップ・オブ・ヨーロッパ とよばれ、ヨーロッパで一番高い所にある鉄道の駅だそうです。それから地下道とエスカレータ で、標高3573mのスフィンクス展望台(忘れていたはずのエジプトを思いだしてしまった) に到着しました。 メンヒ、アレッチ氷河等良く見えました。午前中下から見た時には雲は全くなかったのですが、 ユングフラウの山頂はちょっと雲隠れしていました。山の観光は午前中の方が良いようです。 ここではあまり時間がなく、 アイスパレス(氷河をくり抜いて作ったトンネル。中には氷の彫刻が並んでいました)を見てから 下りの登山電車に乗りました。もっとゆっくり見ていたかったのですがね。ツアーですから 仕方ありませんね。
メンヒ
ヨーロッパ最長の
アレッチ氷河
ユングフラウ

 最後の訪問地ルツェルンに向かいました。 写真は、ルツェルンのシンボル カペル橋です。 ルツェルンの町は、その名前も聞いたことがないくらいで、何も知りませんでした。小さい町です が、大変歴史のある町でした。ちょっと歩いただけで気に入ってしまいました。
 ライオン記念碑は、天然の岩に刻まれた大きくて立派な記念碑で、悲惨な歴史を今に伝えています。 昔、スイス人はお金で雇われて、つまり傭兵 として外国の戦争に参加していたそうです。スイスは山国で土地の生産性が低かったのです。 傭兵は、穀物を輸入する資金を得るための「産業」だったとも言われています。 フランス革命時に民衆がパリのチュイルリー宮殿にルイ16世を襲撃しました。 786人のスイス傭兵はルイ16世一家を守るために戦い、全滅したそうです。勇敢に戦った 彼らを讃え、この記念碑が作られました。ライオンは槍が刺さっており瀕死の状態です。 それでも、そのライオンはフランス王家のユリの紋章の付いた盾を守るかのように横た わっています。


 最終日は、朝の短い時間にムーゼック城壁など、町を散策しました。
町を取り囲む
ムーゼック城壁
カペル橋から見た
ルツェルンの街並み
ルツェルン駅
その後、 チューリッヒへ向かい、国際空港から帰国の途につきました。
 今回は、アルプスの山々を訪れる事が目的の旅で、とにかく天候に恵まれてとてもラッキーでした。 ハイキングガイドの方も3峰(マッターホルン、モンブラン、ユングフラウ)観光時に 全部晴れる確立は10%位ではないかと言われてました。家内の「晴れ女」の面目躍如 といった所です。 フルカ峠での吹雪ぐらいは、変化が有って良かったと思える位でした。 何と言っても、大自然の醍醐味を交通機関を使ってお手軽に見て回れるスイスはすばら しかったです。高一、中二の子供達も、いつまで私達夫婦と一緒に旅をしてくれるので しょうか、そう思うと、一回一回の旅の思い出が貴重に思えてなりません。
 それにしても憎いのはテロリスト達です。行きたい所に行けないなんて・・・ひどい! 実際に自分自身や身内がテロに会われた方やその危険にさらされている方々からすると 私の思いなどは、何とふざけた気持ちと思われるかもしれません。思われてもしかたない でしょうね。でも、「テロの無い暮らし」は、人の行き来を制限すれば、ある程度 達成できることかもしれません。「行きたい所に安心して旅行が出来る」これが究極の平和だと 思われませんか? 永世中立国スイスの旅を楽しんでそう思いました。

2005年9月
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