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泰山刻石の里
秦(前221年〜前207年)の始皇帝は、丞相李斯(りし)に、自らの功績をたたえるための碑を
全国に七つ建てさせた。その中の
一つが泰山刻石である。当初は223文字あり、泰山山頂に立っていたが、火に焼かれたり、
倒壊したりして、現在は10文字程度の断片のみが泰山の麓の岱廟に保存されている。
瑯邪台刻石とともに、わずかに残った秦代篆書の典型である。
私が篆書の勉強をしようと思った頃に泰山刻石の本も見た記憶があるのですが、
その冷徹なほどまでに整斉な文字のため、手本として学びたいと言う気持ちになりませんでした。
それ以来、私の頭の中で風化が進んでいたようです。
今回の習字研究社の旅行の案内で「泰山」の文字を見つけても「泰山刻石」に直ぐには結び付
きませんでした。
泰山の麓にある岱廟の事を調べていく中で「泰山刻石」を見つけて、薄れかけていた記憶が
蘇りました。何故「泰山」で「泰山刻石」を直ぐに思い出さなかったのだろうと情けなく
なる一方で、残石しか残っていない「泰山刻石」が私の頭の中でも碑として蘇った感動を
覚えたのでした。
2009年10月23日(金)
今回の研修旅行は28日(水)が出発日なのに、なぜ23日から始まるのでしょう?それは、旅行に行けるかどうか
の問題が発生したからです。
この日は朝からちょっと気分が悪かったですが、熱を測ると36.7度。風邪の症状もないので、
今流行している新型インフルエンザでもないだろうと思い会社に行く事にしました。26日(月)から
リフレッシュ休暇(10年毎にもらえる長期休暇)です。習字研究社主催の
研修旅行に行けるように、休暇の開始日を決めました。リフレッシュ休暇の前日で、仕事の残件が
あったので、今日は休みたくありませんでした。でも、昼を過ぎた頃からお腹の調子が悪く
なり、気分も優れないので、早めに帰宅して病院に行きました。病状がはっきりしない事もあり、
感染症を抑える薬と胃腸の調子を
整える薬をもらい様子を見る事になりました。ここ数年風邪一つひく事も
なかったのに、病気で研修旅行をキャンセルする事になったらどうしよう・・・。そんな
不安でいっぱいになりました。
10月26日(月)
土曜、日曜はゆっくり休んでいましたが、お腹の調子がまだおもわしくないので病院へ行き、
先生に28日からの中国旅行の予定がある事も伝えました。とにかく原因をはっきりさせるための検査を、と言う事で、
胃カメラを飲む。「食道裂孔ヘルニア」と診断され、胃酸を抑える薬を飲む事になりました。
さすがは胃カメラ。調子の悪い原因はわかりましたが、不安が完全に解消されたわけではありませんでした。
10月28日(水)
不安を抱えつつも、一応元気になりましたので旅行に出発。福岡空港から青島へ向かう。それからバスで莱州のホテル
(新世紀大酒店:3年前もここに宿泊)まで。
今日は移動のみ。
今回は山東省(地図の赤い部分)内の旅です。こうして見ると狭い範囲のようですが、
山東省は、面積で日本の半分程度あるそうです。
同室の方は、O先生で、私の父よりも2歳年上。
海外旅行が出来る体力をお持ちです。それ
どころか、前日に国内旅行から帰ったばかりとか。福岡空港で、出発前に酒を一杯飲ま
れているお姿も思い出してみると、2日前に胃カメラを飲んでいた私よりも元気かも・・・。
お腹の調子は幸い良好で、ビールもおいしく飲めました。ビールはもちろん青島ビールです。
アルコール度数は3%程で、日本製より薄く感じ、ちょっと違和感がありますが、お腹には良かったかも。
10月29日(木)
雲峰山に、鄭道昭の書を訪ねる。実は、雲峰山は、3年前の旅行でも訪れた場所。私の
旅行の方針「同じ場所には行かない」には、反しますが、習字研究社が、維坊市書法協会と
友好関係を結んでいるので、維坊市は必ず訪れる事になります(維坊市の「維」には、正しくは、さんずい偏がありますが、ホームページ上で表示出来ない文字ですので
「維」で代用します)。維坊市まで来て、雲峰山
を訪れないのももったいないですね。訪問先が同じでも、海外に来て友好団体と交流すると
いう事は、単なる観光旅行では体験出来ない事です。
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論経書詩碑亭 |
大基山にて、日中友好の碑(習研の先生方の書が岩山に刻まれている)を見学。
その後、鄭道昭の置仙壇詩碑も見学。山の中腹にあり、到着した時は汗ばむほど。碑亭の周りは、なぜか、てんとう虫
がいっぱいでした。
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置仙壇詩碑亭 |
置仙壇詩(部分) |
天柱山。柱のように切り立った岩石が異様な、高さ約300mの山。
な・な・なんと不思議な場所に碑が立っているのでしょう!人を
寄せ付けないような急斜面に、しかもこの山の彼方此方に刻石が残っているのです。今でこそ
階段で登れますが、昔は階段もなく、刻石を見るのも命がけのような状態だったそうです。
危険はないとしても、急な階段は、楽ではなかったです。
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天柱山 |
中央の碑亭に鄭羲上碑がある |
鄭羲碑は、当初天柱山に作られた(上碑)が、後にもっと良い摩崖が雲峰山に見つかったので
再作された(下碑)そうです。つまり、上碑と、下碑は、全く別の山にあります。
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鄭羲上碑(牢屋に入っているみたい) |
鄭羲上碑(部分) |
維坊市のホテルへ移動。ホテルは前回の旅行と同じく富華大酒店。
10月30日(金)
楊家埠民間芸術大観園を訪問。園内には凧工房等がある。ここは前回も訪れた。
前日に「十笏園」に行けませんか?と、Y先生に申し入れをしてましたが、ダメでした。
中百美術館にて篆刻展を鑑賞。
維坊市博物館にて日中揮毫交換会・書道展を見学。
夕食はホテルにて歓迎宴。中国側の歌で印象に残ったのは、千昌夫の「北国の春」です。中国語、
日本語の両方で歌われた。インターネットのフリー百科事典(ウィキペディア)で「中国では現在でも最も有名な
日本の楽曲のひとつ」とコメントがあり、将にそれを実感してきました。
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書道展会場 維坊市博物館 |
揮毫交換会 |
維坊市書法協会主催 歓迎宴 |
10月31日(土)
深夜、目が覚めました。大きな音は、なんと雷雨でした。今日は泰山に登る日です。朝
も、小雨ながら降り続いていました。維坊市からバスで約4時間の移動後、泰山のある
泰安市に到着する頃に、幸い雨が止みましたので、泰山に向かう事になりました。
泰山は、道教の聖地である五岳(東岳泰山、西岳崋山、南岳衝山、中岳嵩山、北岳恒山)の一つで、
その中でも最も重要とされる名山。海抜1,545m。
世界自然文化遺産にも登録されている。あまり高い山ではありませんが、その参道が始まる泰安市の
岱廟の海抜は、ほぼ0mで、山頂まで約7,000段もの階段がある。
信仰の篤い中国人は山頂の玉皇殿へのお参りと御来光を拝むのが泰山登山の目的らしい。
日本人が富士山から御来光を拝むのと似ています。私達は御来光を見るわけではありませんが、
この道程は大変です。途中の「泰山経石峪金剛経刻石」も必見です。
・・・と言うと7,000段の階段を登ったみたいですが、楽な方法で登りました
(楽をしたため、「泰山経石峪金剛経刻石」は見ていません)。
小型のバスに途中で乗り換え、中天門まで向かう。そこから行列待ちをしてロープウェイに乗り、山頂近くまで行く。
山頂は寒いという事は旅行前から聞いていましたのでセーターと厚手の上着を用意していました。
それでも寒い!もっと温かい格好をしてくれば良かった。楽をしたとは言え、
ロープウェイを降りてからでも階段がまだまだありました。強い風に雲が下界から吹き寄せる
風景は、周囲の景観と相まって別世界の様でした。
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ロープウェイからの絶景
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吹き寄せる雲が作る 別世界 |
ロープウェイ降車後も 長い階段 |
玄宗皇帝が書いた紀泰山銘碑(高さ13.3m)はさすがに堂々たるもの。見応えがありました。
その横を通って、山頂の玉皇頂に到着。願掛けの鍵が沢山。私も小さい鍵
(60元。1元=約15円なので、900円程度)
を付けて来ました。
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紀泰山銘碑 |
玉皇頂 おびただしい数の鍵 |
「五嶽独尊」碑は、泰山が中国五岳中で最も重要である事を示している。5元札の絵としても
使われている有名な碑。記念写真を撮ろうとしたら、同じく記念写真を撮ろうとしていた中国人
から批難の嵐を受けてしまいました。それでもシャッターチャンスを逃さず撮影していただいた
K先生に深謝いたします。
帰りに7,000段の階段の終点の南天門に回ってみる。上から見ると転げ落ちそうになりそうな
急な階段でした。
帰りのロープウェイの駅には行き以上の人の行列ができていました。
ホテルでの夕食には、赤鱗魚と言う魚の料理が出ました。小さな魚ですが大変高級
な魚だそうです。泰安三美とは、泰安名物の豆腐、白菜、水を使ったあっさりしたスープ。
豆腐には八角と言う香辛料が使われていて独特の味がします。
日本では豆腐大好きの私ですが、中国の豆腐は食べにくいです。
11月1日(日)
朝食時、かなりの数の日本人旅行客を見かけました。泰山を訪れるツアーは、人気のようです。
岱廟にて泰山刻石に御対面。写真で見ていたので予想はしていましたが、ガラスの覆いの向こう側の
残石に往時の影を偲ぶしかありません。見るも無残な姿にがっかりしつつ、いやいやこれが凄い物なのだ
と自らを励ましながら(?)、熱病に取りつかれているように見とれている所へ、
売り子が拓本を差し出し「540元」と言っているではありませんか!
値切って300元で価格交渉が成立しようとしました。
その時、訪中105回の経験をお持ちのN先生にしかられてしまいました。
「一人で買ってはダメよ。希望者を募って、数を増やしてもっと値切るのよ!」
希望者を募ると多数いらっしゃいまして、おかげさまで、260元で購入できました。
N先生、ありがとうございました。私はあの時、猫に鰹節状態で
そこまで気が回りませんでした(でも、値切るのは忘れていませんでした)。
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泰山刻石の前で |
岱廟内 歴史碑刻陳列館の中 |
張遷碑 碑首 |
曲阜に向かう。
孔廟は、孔子を祀るために建てられた廟。北京の「紫禁城」、泰安の「岱廟」とともに、中国三大宮殿建築
の一つ。
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孔廟入口まで ミニバスで移動 |
長い「神道」 |
金声玉振坊 坊:中国の伝統的門 |
孔府。歴代の孔子一族が住んだ邸宅。部屋数なんと463!一つ一つの部屋も広く、うさぎ小屋の
我家はその一つの部屋の中に入ってしまうでしょう。
漢魏碑刻陳列館。暗い館内では、懐中電灯が必要です。私は、小さなライトを持っていったのですが
小さすぎて役に立ちませんでした。碑の写真が下にありますが、全く見栄えがしません。
それでも写真を出したくなる気持ちを分かって下さい。ここには、下記の碑以外に、「五鳳二年刻石」、
「史晨碑」、「張猛龍碑」等がある。
「魯相韓勅造孔廟礼器碑」が正式名称の「礼器碑」は、「れいきひ」とも「らいきひ」とも読まれているが、
魯国の宰相・韓勅(かんちょく)が孔子廟の祭祀用の礼器(れいき)を作った功績を称賛した頌徳碑であるので、「れいきひ」と読むべき
との事。(「らいきひ」と言う読み方は「五経」の一つ「礼記」を「らいき」と呼ぶ事から来ている
らしい。「らいきひ」と読むべき理由はないようです)
碑林を訪れた後には、毎度毎度、困惑したような思いが残ります。短時間で沢山の碑を見たい
と言う要望に応えてくれる碑林ではありますが、私は消化不良に陥るようです。おまけに今回の
碑林では、交渉してもらって5分間だけ撮影許可がでたという事で、全く写せなければそれなりに
諦めが付くのですが、「あれも写しておけばよかった」と言う感覚も残り消化不良の感覚が増した気がします。
それに追い打ちをかけるのが拓本の売り子なのです。
礼器碑の拓本を買おうか買うまいかと随分悩みました。買われた先生もいらっしゃいました。
「手頃な大きさの拓本は、表装して自宅で鑑賞する事が出来るが、礼器碑クラスの大きな拓本を持っていても
タンスの肥やしにしかならないので要らない」と言うのが私の考えでしたが、見ている内に欲しくなってきました。
碑陽(表側)だけでなく、碑側、碑陰(裏側)の拓もあると言う事で2万円と言う事でした。
「碑側、碑陰は、欲しくないしなあ〜。2万円ね〜。」と決心が付かないうちに出発時間が来ました。
出発した後では戻りたくても戻れません。自分の決断力の無さに、ほとほとあきれる
ばかりです。出発前にはあれだけ期待を膨らませていた碑林の見学ですが、終わった後の感想を
もし聞かれたとしたら「だから、碑林は嫌いです(??)。」
孔林。孔家歴代の墓所。広大な敷地に十万を超える孔子歴代の墓があると言う。ミニバスに乗って回るが
大変広い。小さな円墳と石碑が累々と続いている。かと思うと特大の円墳もある
(位の高さで大小があるようで・・・)。孔子の墓の前では、膝をついてお参りする人が絶えませんでした。
曲阜から今日の宿泊場所の青島まで、約400kmの距離をバスで5時間位移動しました。
21時頃からの遅い夕食でした。この夕食は、今回の旅行のさよなら夕食会で、維坊市から二人の中国の先生方
にも来ていただきました。
11月2日(月)
写真右側は、中国国旅(青島)の中国人添乗員の孫さん。
3年前の旅行でもお世話になりました。旅行中、流暢な日本語で、興味深いお話を色々して下さいました。
ユーモアもたっぷりで、楽しく過ごす事ができましたし、細やかな心遣いも大変ありがたかったです。
本日は、帰国の日。大変冷えて、ちらほら雪も舞いました。土産物店で45分間の買い物後、青島空港に向かう。
飛行機の中で、私の近くの席に座られたK先生が機内販売でお土産を買おうとされていました。
私は中国の飛行機の中で機内販売を見た事がなかったのですが、客室乗務員に聞いて見るとちゃんとあるのですね。
聞いてからだいぶ時間が経ちましたが、擦り傷のたくさんついたワゴンが来ました。でも
置いてある品物はさすがに良い品の様でした。K先生はSWAROVSKIのペンダントを
購入されていました。値段はドル表示なのですね。日本円でも良いとの事でしたが、お釣りは
なくて、500円が必要でした。結構高額の買い物でしたし、中国での買い物の延長で値引き
を試みましたが、ここではダメでした。私も両替は出来なくて、他の方に両替をお願いし、
やっとK先生の買い物が出来ました。機内販売は機内を回ることなく引っこんでしまいました
ので、通常は機内を回らないみたいです。高い品物を扱っているのだから、もう少し小奇麗な
ワゴンを使えばいいと思いますがねえ・・・。
福岡空港には、習字研究社の会長もお迎えに来ていらっしゃいました。簡単な解散式
の後に帰途につきました。
「同じ所に何度でも来なきゃ」と、N先生が言われた言葉が頭の中に残っていました。そうかもですね。
一度に全部見て吸収するのは難しい事なのでしょう。
自分が進歩していたとしたら、同じものを見たとしても見方が変わってくるでしょう。
碑林で消化不良を起こす事がわかっていれば、「今回は、この碑だけは悔いが無いように見よう」と決心して
出かける事もいいかもしれません。
会社や家庭には随分と迷惑を掛ける旅行です。
それでも「研修旅行」の魔力の前に、小さな私は翻弄され、また迷惑を顧みず飛びだして行く事を
恐れています。
2009年11月
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