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復讐のエジプト

 「復讐のエジプト」とは変な日本語のタイトルですねぇ。この数年間ずっと私の中で燻り続けていた思いを表していますが、 決して恐ろしい内容ではございません。


 それは5年前の、2005年の夏・・・エジプト旅行を予約していました。旅行開始の3週間程前、 エジプトのシャルム・エル・シェイクでテロが発生しました。そのため、高いキャンセル料を払って 泣く泣くキャンセルした苦い思い出があります(キャンセルした代わりが「楽しいスイス」でした)。 今年こそはエジプトに、と言う思いでツアーを予約しました。
 中国古代文字に関心のある筆者としましては、エジプト古代文字のヒエログリフは、直接関係ないとはいえ、 興味をそそられる対象です。ましてや、文字が神殿や像に刻まれていると言う事は、考えてみただけで わくわくしてしまいます。

■漢字の生命力
 1799年、ナイル川河口のロゼッタ付近で石碑(ロゼッタストーン)が発見された。 そこには、エジプト聖刻文字(ヒエログリフ:漢字でいえば楷書)、エジプト民衆文字(デモティック:漢字でいえば草書)、 ギリシア文字、の 3種類の文字が刻されていて、同じ内容が書かれていると推測された。フランスの古代エジプト学研究者 のシャンポリオンは、このロゼッタストーンを基にしてヒエログリフの解読に取り組んだ。 解読に際しては、そもそも表意文字か表音文字か、あるいはその両者が混在しているのかといった 極めて困難な議論から始めなければならなかった。ギリシア文字の対訳文であるロゼッタストーンの発見と言う僥倖に恵まれ、 不世出の天才シャンポリオンをもってしても、ヒエログリフの読解には20数年もの期間が必要でした。
 ロゼッタストーンの発見から100年後の1899年、中国でも古代文字(甲骨文字)が発見された。 その甲骨文字は、中国古典学・金石学の権威である孫詒譲(そんいじょう)によって比較的短期間で解読された。 甲骨文字は、それを見た段階でこれは中国語である事が推測でき、ある文字が現在の どの漢字に該当するかという議論から出発すれがよかったのである。
(参考文献:「文字の発見が歴史をゆるがす」二玄社刊 福田哲之著)
 ヒエログリフの解読は、ロゼッタストーンの発見があり、20数年もの歳月をかけた壮大なドラマです。 一方、甲骨文字は、2ヶ月と言う短期間で解読され、それほどドラマチックとは思えません。でも、逆にいえば、3千年前の甲骨文字が、 短期間で現代に蘇ってくる事自体がもの凄い事とも言えます。漢字自体が秘めた生命力に背筋がぞくぞくしました。  

◆2010年9月20日◆
 出発日は、熊本市で有名な祭りの藤崎八旛宮秋季例大祭の最終日でした。関西空港まで、20時発の夜行バスで 行く事にしていました。今回は旅行不参加の長男がバス出発地の交通センターに送ってくれましたが、 交通センター周辺は、お祭りの行列の人々であふれ、交通規制中でした。 それで交通センターの手前で車から降ろしてもらいました。
 夜行バスの出発時間を待っていると、長男から電話。「車のキーを持って降りただろう?」  探してみると、家内のリュックから車のキーが出て来ました。運転手以外が電子キーを持っていたのが誤り でした。長男は移動先から動く事ができず、家内がタクシーに乗って電子キーを長男に届けました。 祭りのために道は大変混雑していました。 夜行バスの出発時間が迫って来て心配しましたが、幸い間に合いました。 電子キーは便利なようで一歩間違えば怖い事になりますね。ハラハラドキドキの旅行開始でした。


◆9月21日◆
 早朝、大阪駅に予定より早く到着。神戸に住む次男と待ち合わせて朝食。 エジプト行きの飛行機は21時45分発。相当待ち時間があったので、その間、 なんばグランド花月とスパワールド(世界の大温泉)に行ってきました。
 関西空港に着いて、出国手続き後、空港内のシャトルに乗り、搭乗ゲート前に到着。 搭乗予定のエジプト航空はイスラム圏の航空会社なので、機内でアルコール類のサービスはありません。 機内食のお供にする缶ビールをさがしましたが、売店にはカップ入りの生ビールしかありませんでした。 遠くまで買いに行こうかとまで思いましたが、搭乗時間もありましたので断念し、その売店でカップ入り生ビールを飲みました。 国際線飛行機の中でアルコールを飲むのは、私の楽しみの一つです。それが出来なくて残念。 帰りの飛行機では、是非実現させようと思いながら、搭乗しました。


◆9月22日◆
 約14時間のフライトの後、午前5時20分ルクソール空港着。飛行機から出て、タラップに足を乗せた 瞬間「粉っぽい」外気を感じました。夜明け前なので周りの景色は全く見えませんでしたが、エジプトに 着いた事を実感しました。
ルートマップ

 入国審査前に同じツアーの方々と御対面。江戸府さん(仮名:男性)、内流さん(仮名:女性)、私達親子3人の 合計僅か5人のツアーである事を知ってびっくり。それでも日本語が上手なエジプト人ガイドさんが一人同行してくれます。 こんな少人数のツアーは初めてでした。

 ホテルにて朝食後、直ちに第一日目の観光にスタート。途中ナイル川を渡り、ルクソール西岸に到達。 唐突に目の前に表れたのがメムノンの巨像。高さ18m。その名の通り巨像である。

 インヘルカウの墓。これは墓を作る職人の墓。内部は撮影禁止なので、写真は入口のみ。内部には色鮮やかな壁画がありました。3000年以上も前に書かれた事も考えると 驚くばかりです。帰国してからもっと良く見ておけば良かったと大変悔やまれました。近くには、広い範囲に集合住宅の跡と言われる場所がありました。
インヘルカウの墓入口
集合住宅跡
(遠くに観光用気球)

 王家の谷。暑い ι(´Д`υ)・・・ドライヤーの熱風の中に居るみたいです。 撮影禁止で、ガイドさんに、カメラはバスの中に置いておくように言われたので写真はバスの駐車場のみ。 一面岩山の中に墓の入口があちこちにありました。 ツタンカーメン王の墓と、ラムセス9世、1世、3世の墓を見学。 内部の壁画は見事ですが、撮影禁止と言うこともあり、見ている内にどれがどれだか分らなくなってきてしまいました。 墓の中は人が多くて暑くて・・・。墓の外に出た瞬間は、さっきまで暑かった外気が涼しく感じられたほどでした。

 ハトシェプスト女王葬祭殿。 私は、この名前を、なかなか覚えられなくて、家内にはハトポッポ葬祭殿と言ってました。家内は、旅行前に友人 から「エジプトと言えばハト料理」と聞いていたようですが、 このツアーは、全食事付きで、残念ながらハト料理はありませんでした。ハトポッポ葬祭殿でハト料理の話とは・・・。
 1997年に観光客を標的とした無差別テロがあった現場。日本人を含む60人近くの方々が犠牲になられたそうです。

 これこそ私がエジプト旅行に期待していたものの一つだ・・・カルナック神殿の中を歩いていてそう思いました。 林立する大きな柱の間を、ポカンと口をあけて、柱の彫り物を見ながらフラフラさまよう・・・。 頭の中には映画に出て来るような音楽が鳴り響いている・・・。 広大なカルナック神殿に、日陰はほとんどありません。暑くて暑くて。神殿に圧倒されながらも、水と日陰が 欲しくてたまりませんでした。
カルナック神殿 スフィンクス参道
彫り物だらけの柱列

 バスに到着しエアコンでほっとしたかと思ったら、程なくルクソール神殿着。「もっと休みを・・・」そう言っている暇はなく スケジュールは進行していきました。
 ルクソール神殿も文句なくすごい所です。でもカルナック神殿を見た後ではちょっと小さく見えてしまいました。
ルクソール神殿入口のラムセス2世像(2体)
中庭のラムセス2世像(2体)
手には印を持っている

 ナイル川沿いのホテルに、まだ明るい内に到着しました。履いていた黒革靴を見てびっくり。砂にまみれて白革靴になっていました! 疲れてはいましたが、息子と共にプールに入り、 また、ジャグジーに入り、ナイル川を見ながらリゾート気分をしばし堪能しました。
 神殿やホテルの入口には、空港にあるような金属探知機がありました。まじめに検査している所も ありましたが、金属探知機が鳴りっぱなしで事実上フリーパスの所もありました。こんないい加減な 検査でいいのかな?


◆9月23日◆
 エドフのホルス神殿は、ハヤブサの形をしたホルス神の神殿。ホルス神は、天空の神。エジプト航空のマークになっています。 天空の神ですよ、墜落することなさそうですね。つくづく良いマークだなと思います。アルコール飲料を機内サービスしてくれたら、 エジプト航空も、つくづく良い航空会社だと思えるのですが・・・。
ホルス神殿塔門
ホルス神レリーフ
ホルス神像

 コムオンボ神殿。神殿の奥のちょっとした高みに登って神殿を見ていたら、他のツアーの日本人女性2人 が下から私達を見上げて、どうやって登ったのか(関西弁?)と聞き、登ってきました。合わせて7人の日本人が 高い所から見物していたら、管理者と思われるエジプト人が2〜3人やってきて、どなられてしまいました。 何と言っているのか全くわかりませんでしたが、早く降りろという事らしかった。降りてからは、 お咎めはありませんでしたのでほっとしました。

 イシス神殿。 「イシス」と聞いて1988年に発売された、とあるゲームを思い出された方はいらっしゃいませんか? ドラゴンクエストVなのですね。これは私が初めて夢中になったロールプレイングゲームです。 ゲームの中で、「イシス」は、王国の名前として登場しました。「イシス」の近くには「ピラミッド」 があり、ミイラが・・・この話はこれ位にして旅行の話に戻りましょう。 この神殿はナイル川の中州にあり、船で渡ります。船から見るイシス神殿はとても優美でした。 船から降りると、またもや神殿に見とれながらも水と日陰を求めて過ごす時間でした。

 ファルーカ(帆船)に乗ってナイル川の中州にあるホテルへ。船中では、ヌビア人の船員さん達がタンバリンを叩いて 歌ってくれました。日本語の「幸せなら手をたたこう」もありました。途中、アガサ・クリスティの「ナイル 殺人事件」の舞台となったオールド・カタラクトホテルも見えました。途中で風が途絶えてファルーカは動かなくなったため 動力船で引っ張ってもらい、ホテルのある島に到着しました。
ファルーカ(帆船)
ヌビア人の船員
オールド・カタラクトホテル

 幾つもの神殿を見てきました。どの神殿も物凄いのですが、どれがどれやらわからない状態になりつつありました。 広大な敷地に、とんでもなく大きな神殿を建て、広大な壁面と言う壁面に、膨大な数の柱と言う柱に レリーフやヒエログリフが彫られている。ほんの僅かな隙間も見逃すものかという意気込みで 彫りまくられている。どこからこんな恐ろしくも思えるほどの執念が生まれてくるのでしょうか? ヒエログリフを彫る事は、神々とファラオ(古代エジプトの王)の力を石に宿す魔術とされていたらしいのです。 文字を彫る事と、神聖な儀式とは切っても切れない関係があるのですね。 ヨーロッパの聖堂等も、装飾だらけだった事を思い出しました。神殿を装飾し、より壮麗にしたいと言う 願望は、古今東西同じなのかもしれません。
カルナック神殿の壁面

 夕食は別の島にあるレストランへ。ミートボールの入ったタジン料理(煮込み料理)は、ちょっと癖のある香辛料が 入っていたようで食べにくかった。それに、レストランにはアルコール飲料がないので私には寂しい夕食でした。
 ホテルで洗濯をして見ました。私の今までの常識では、洗濯物は一晩で乾かないものなのですが、ここで洗濯物をベランダに 出しておくと一晩でカラカラに乾燥してました(ちょっと粉っぽい感じはしましたが)。さすがはエジプト!まめに洗濯すれば、 持ってくる着替えの数は減らせたかな?


◆9月24日◆
 切りかけのオベリスク。 作成中にヒビが入ったので放置されたままになったと言われるオベリスク。写真右上の岩の上の人 と比べてもらえれば、オベリスクの大きさが分かっていただけると思います。

 アスワンハイダム。 上流には広大な人造湖(ナセル湖)が広がっていて、まるで海岸のようです。 このナセル湖、とにかく大きい。長さは550km、最大幅で25kmあるそうです。 550kmといえば、熊本〜大阪間位の距離です。
 乾燥地帯が多いエジプトは、全人口の95%の人が国土の5%ほどのナイル川流域に居住しているそうです。 人々の生活の場はナイル川流域にあるのです。ダムの建設により、この地方に住んでいたヌビア人は 移住を余儀なくされました。日本でもダム建設により水没した(する)集落の問題が報道されますが、 アスワンハイダムは規模が違いますから、問題の大きさも半端ではなかったでしょう。 次に向かうアブシンベル神殿が、アスワンハイダムの建設により水没の危機にさらされたが、ユネスコの協力により 移転されたという事は有名な話です。その一方で、救済されなかった文化遺産、集落がどれだけあったの でしょうか。

 アスワン空港から、アブシンベルへ飛行機で向かった。着陸前に、飛行機左側窓から アブシンベル大神殿・小神殿が一瞬でしたが見えました。 ナセル湖北端のアスワンから飛行機にて約45分飛んでも、まだナセル湖(写真左下部)がある事からも ナセル湖の巨大さが分かっていただけると思います。

 幾つもの神殿を見てきましたが、アブシンベル神殿はちょっと特別でした。 他の神殿と異なる特徴は何と言っても入口です。 高さ21mの巨像が4つ(1つは頭部が崩れていますが)あります。 その4つが全部ラムセス2世像なのですね。何でそんなに並べる必要があったのでしょうかね? ラムセス2世像には、ここ以外にもルクソール神殿や後日訪れるメンフィスにもあります。 自分の像をどれだけ沢山作れば気が済むのでしょうか?自己顕示欲の塊のような王様ですねえ。 180cmの長身(古代エジプト人成人男性の平均身長160cm)で、90歳まで長生き(古代エジプト人平均寿命40歳) したラムセス2世は、王妃・側室を100人持ち、子供の数は150人とも200人とも言われます。 おまけに、お顔立ちも立派で・・・(実際の顔とは異なるとの説もある)。絶大な権力を持っていたラムセス2世はスーパーマンですね。 とにかくすばらしい神殿でした。神殿内部のレリーフ(写真撮影禁止)も、他の神殿のものよりも 躍動感があり見応えがあった様に感じました。
アブシンベル大神殿
アブシンベル小神殿

 日が暮れてから大神殿と小神殿をスクリーンにした「音と光のショー」を見ました。アブシンベル 神殿とラムセス2世の歴史絵巻が展開されました。スピーカの音声はドイツ語でしたが、イヤホン付きの 受信機で日本語が聞けました。ツアーガイドさんから頼まれていたので、「音と光のショー」終了後、 同行5人の受信機を、私がまとめて返却しに行きました。ところが、返却場所が混み合っていて、 なかなか返せませんでした。やっと返却し、ライトアップ中の小神殿、大神殿の前に行ったのですが、大神殿の 前でライトはOFFになりました。どうやら「音と光のショー」は次の回があるらしく、次の回の観客 に、最初からライトアップされた神殿を見せないように、あらかじめライトはOFFしておくようでした。 ガイドさんに受信機返却を行ってもらえれば、ライトアップした神殿をもう少し見られたのに! 私達が「音と光のショー」を見ている間、ガイドさんは、アブシンベル神殿の入場門付近のカフェで 仲間達とおしゃべりをしているのでした。
アブシンベル小神殿
ライトアップ
ラムセス2世の
カルトゥーシュ
(ファラオの名前を
枠で囲ったもの)
アブシンベルの
ホテルにて


◆9月25日◆
 アブシンベル神殿とナセル湖の日の出鑑賞。 5時40分にモーニングコールと聞いていたのに、実際にモーニングコールが有ったのは6時。 6時10分集合だったので、あわてて集合場所のホテルロビーへ。 日の出前にアブシンベル神殿前に到着。薄明の中で見るアブシンベル神殿は、昨日とはまた違って爽やかな印象。
 日の出時間の6時40分になっても太陽は現れませんでした。地平線には靄がかかっていたのだろうか。 暫く神殿を見ていて、だれかの声で後ろを振り向くと地平線の彼方に丸い太陽が見えました。
 アブシンベルから飛行機でアスワンに。一度、アスワン市まで行ってそこで昼食。再びアスワン空港へ。 空港で数時間待たされた後、カイロへ向かう。 カイロは、若干涼しく感じました。同じエジプトでも、アブシンベルとカイロでは、南北に600km 位離れています。日本で言えば、東京〜青森位です。
 ツアーガイドさんは、ピラミッドのあるギザ市に自宅があるそうで、今日は自宅に泊まると言う事でした。 さらに話を聞いていたら、20代の若い方なのに親から援助を受けたとはいえ、広い家を新築して ローンも返済完了との事。その優雅な暮らし振りが羨ましい限りです。このガイドさんカイロ大学で考古学 を勉強し、その後日本語を勉強したとか。
 カイロタワー。 エレベータには、ナイナイの岡村さんに似ていると自分で言っている係員がいました。確かに似ていました。 (この日泊まったホテルにも岡村さん似の係員がいました。岡村さんがエジプト人に似ている?)
 夕食は、このタワーの上にある展望レストラン。料理だけでも食べきらなかったのに最後に出てきたデザートの量にびっくり。 夜景が大変きれいで、高い所好きの私は大満足でした。
 ホテルの窓からピラミッドが見えましたが、薄暗くて良く見えず。明日の朝に期待。


◆9月26日◆
 早朝、部屋の窓からピラミッドが見えました。朝食の帰り、部屋の階についてから、廊下の先の非常階段を発見しました。 外に出られるみたいです。出てみると外の雑踏が見えましたが、ピラミッドは見えません。あきらめて部屋に戻ろうと しましたところ、中に入る扉が開きません!内側からしか開かないようになっていたようです。わっ!困った! 屋上に従業員がいた(寝てました)ので、そちらに向かおうとした所、扉から誰かが出て来ました。助かった! 同じ事を考える人は他にもいました。その人(米国人)も観光客でピラミッドを見に非常階段に出てきたようです。 ただ、その人は、出口が内側からしか開かない事を知っているようでした。こちらの非常階段からピラミッドが見えない 事を確認すると、「見える方に行こう」とか言って廊下を歩いて行きました。我々も後を追いました。 反対側の非常階段からはピラミッドが良く見え、思わぬ所で記念撮影をお互いにしました。 締め出された所に来てくれて本当に助かりましたとお礼を言いました(ちゃんと伝わったかな?)。

 バスにてダハシュールに向かって、最初に接近したのが屈折ピラミッド。時間があまりなく、外観を見るだけ。 他の観光客は少なく、砂漠のピラミッドを実感。

 続いて、赤のピラミッド。 ピラミッドの中に入りました。通路はとても狭い階段(高さも幅も120cm程度)。それが長々と続く。 腰と膝を曲げての階段降りはとても辛い。幅も狭いので、人がすれ違うのがやっと。降りて行くと 物凄いアンモニア臭が。ガイドさんによると動物がピラミッドの中に入り込み糞尿をするからと 言う事らしい。中の部屋は思ったより広い。臭くて臭くて居ても立っても居られないという状態で 直ぐに引き返した。帰りの登り階段も辛かった。ピラミッドから出ると外の風が心地よかった。

 メンフィスに移動して、アラバスター製のスフィンクスを見た。アラバスターとは、大理石の一種(雪花石膏)。 ピラミッド前の超有名なスフィンクスより小さいけど、それでも高さ約4m。

 またまた自己顕示欲の塊、ラムセス2世の巨像(体長15m)に御対面。右手に印を持っています。 ラムセス2世も印を大事にしていたんですね。
 ここでラムセス2世の重大な誤りに気付きました。 下の写真は、ラムセス2世の巨像の右手の拡大写真で、問題の印が写っています。 印には、ラムセス2世のカルトゥーシュ(ファラオの名前を枠で囲ったもの)が彫ってあります。 腕輪の模様にも全く同じカルトゥーシュがあるので比較して下さい。 印面が鏡文字になっていないのです。でも、ヒエログリフは 鏡文字自体が存在するそうなので・・・まあ、それは置いといたとしても、もう一つ誤りがあるんです。印面の凹凸が逆転していない のです。これでは印を押した時に正しく表現できません。なんと3000年もの間見過ごされ ていた誤りが、今になって 明らかになったのです。(巨像が印を押す事はないので問題は無いですけどね)
ラムセス2世の巨像の右手部。腕輪と印面に同じ模様有り。
印面は、鏡文字で、かつ凹凸が逆転するべきである。

 サッカラのカーペットスクール。 階下が子供達がカーペットの作り方を学ぶ学校(といっても工場にしか見えない)で、 階上が店になっている。シルク製の物は高価で、ウール製の物はそれよりは安い。とても高くて買う気にならない。
 学校と店内をエジプト人が日本語で説明してくれました。その人だけ日本語をしゃべるのかと 思っていたら、他に少なくとも二人のエジプト人が日本語で話しかけてきました。それだけ多くの日本人がエジプトに来ている と言う事でしょうか。

 階段ピラミッドは、史上初のピラミッドと言われている。赤のピラミッド等と比べると積み石が小さい。
 人の多い所に必ずいるのが物売りです。シツコイです。「1ドル、1ドル」と連呼して、品物を目の前に持ってきます。 ちょっと面白そうかなと思っても、ひたすら避け続けました。定価が貼ってあって並べて置いてあれば興味をもって見る と思うのですがねえ。

 ギザまで戻ってくる。ギザのピラミッドは大きかったですが、驚く・・・と言うよりは、イメージ通り・・・。 なんだか感動が少ないですね。 クフ王のピラミッドの中に入りました。最初は天井が低くて腰を曲げての階段登りでしたが、途中の大回廊の階段は、天井が高いので 少しは楽でした。一番奥の王の玄室は、結構広い空間でしたが、ふたのない石棺が置かれているだけでした。 ほのかな明かりの中で、誰かが外国の歌を歌っていてそっちの方が印象に残ってしまいました。
 「ピラミッドの前でラクダに乗る」と言う事は、長年の夢でした(ベタな夢だこと!)。話はそれますが、 私の中で、この夢と並ぶものが「ニューヨーク 自由の女神の王冠の窓から顔を出す」と言う夢でした。 実はこちらの方は1989年に実現していますので、20年越しの夢の実現となりました。
クフ王のピラミッド
(王の玄室にも入場)
カフラー王のピラミッド
(頂上の帽子が目印)
ラクダに乗って
(結構高くて怖い)

 太陽の船博物館。 クフ王のピラミッドの脇から発見された船を展示。王の魂が天空を旅する時に使うものらしい。 下の写真では良く分かりませんが長さ43mもある巨大な木造船です。
太陽の船
スフィンクス
(以外に長い前足)
パピルスの店
(作り方を実演)

 今回、水着の用意もしてきて、全てのホテルでプールに入りました。もっとも、疲れているのでプールで 泳ぐと言うよりは、プールに浸かると言う感じでした。それぞれのホテルのプールはナイル川、ナセル湖が見えた りしてとってもきれい。プールサイドのリクライニングチェアに寝そべってリゾート気分を満喫できました。 プールから上がった後、寝そべっていて気づいたのですが、ちょっとひんやりする位、涼しく感じるのです。 しばらくその状態が続いた後、暑さを感じて来ます。たぶん体に着いた水滴の気化熱冷却によるものでしょう。 体に水滴が付いている間は涼しくて、水滴が蒸発してしまうと暑くなるのでしょう。エジプトは乾燥しているので 気化熱冷却効果も強烈なのだと思います。この涼しさが心地よくて、プールにドボンと浸かっては、リクライニングチェアで 寝そべる事を繰り返していました。ヽ( ´ー`)ノ

■エジプト人の印象 ・・・ 金が絡まなければ良い人
お茶目・お客さんの肩を後ろからつついてから、隠れて遊ぶ販売員。
・料理を素直に出さず、一度引っこめて客の反応を見て遊ぶウェイター。
世話好き・外を歩いているだけでどこに行くのか聞いてくれる(関西人と同じ?)。
怠け者・寝ている警備員。
・ボーッと座っている清掃員。
・客に説明をしたら自由時間を与えて仲間とおしゃべりするツアーガイド。
汚い金儲け・汚いトイレなのにバクシーシ(チップ)を要求する係員。
・価格交渉完了後に追加の買い物を要求する店員。
ボールペン好き・胸に挿して歩いていると欲しがられる。
・価格交渉後に欲しがられる。
・セキュリティーチェックの 際にバッグの中のペンを見つけると欲しがられる。

 エジプトの夜も今日が最後。夕食はナイル川ディナークルーズと豪華でしたが、寂しい気持ちと裏腹でした。 歌謡ショーの後、タンヌーラ・ダンスがありました。タンヌーラは、スカートと言う意味。男の人が スカートをはいて、ひたすら回り続ける踊りで、宗教的な修行のためのものだそうです。これは見応えがありました。 最後はベリー・ダンス。実はもっと色っぽいダンスを想像(期待?)していたのですが、家内が隣にいましたので、 これ位で良かったです。
船外風景
(右側はカイロタワー)
タンヌーラ・ダンス
ベリー・ダンス


◆9月27日◆
 午前中のフリータイムには、ツアーの5人全員で現地の人が利用するスーパーマーケットに行く事になりました。 ガイドさんからは、ホテルで車を手配してもらうと良いと聞いていました。しかし、ホテルに尋ねると スーパーまでは、1.5km位なので歩いて行けるとの事でしたので、歩く事にしました。 ガイドさんにアラビア語でスーパーの名前を書いて もらっていましたので、途中で人に道を尋ねる事ができました。といっても、こちらから積極的に聞かなくても、 途中で2人の人から「どこに行っているの?」と聞かれたのです。一人の人は、しばらく一緒に 歩いてくれて、道路を横断するのを手伝ってくれました。エジプトの道は車であふれています。おまけに、 信号はほとんど無く、道路横断はちょっと怖いぐらい。この人は道沿いの香水店の人で、スーパーの帰りには 店に来てほしいと言われましたが、それほどしつこくはありませんでした。 私達の歩みが遅かったのでしょうか、30分位の後スーパーに到着。
 シツコイ物売りと価格交渉にうんざりしていた家内は、品物が小奇麗に並べられている定価販売のスーパーの店内を見回すと 歓喜乱舞。あっという間に買い物かごが一杯になりました。 ここで問題が・・・会計時に私のクレジットカードが読み取り機に拒否されてしまったのです。 しかも、カードが使えると聞いていたので、エジプトポンドは少ししか持っていなかったのです。 米ドルも使えずに途方に暮れていると、江戸府さんが エジプトポンドを貸してくれました。現地通貨はもう少し余裕をもって持っておくべきでした。 江戸府さん、本当にありがとうございました。 帰国後にクレジットカードを使ってみましたが問題なく使えたのです。ファラオの呪いか?

 ムハンマド・アリ・モスクは、 期待以上に素晴らしい所でした。外観も素晴らしいが、円形に並んだ多数のランプやドーム内側の装飾が とても美しい。 ここは高台にあるので、モスクから外に出ると、カイロ市街が見えた。また、ギザのピラミッドも遠望できました。 ピラミッドの姿もこれが見納めか・・・。
ムハンマド・アリ・モスク
モスク内部のランプ
ドーム内側の装飾

 エジプト考古学博物館。 一歩入ると、そこは、めくるめく考古学の世界。物凄い数の展示物が所狭しと並んでいるせいか、他の博物館の 雰囲気とは異なっているように感じました。
 ツタンカーメンを目の前にして、この世界的宝物を目の前にして、たとえほんの一時であっても目の前に立っている 自分に酔ってしまいました。神々しいまでの煌めき、繊細で優美な作りは、見れば見るほど引きこまれそうになってしまいました。 博物館の展示物を見ただけで、このような感動を覚えたのですから、王家の谷の発掘を始めて6年後にツタンカーメンを発見した ハワード・カーターの感動は、いかばかりだったでしょう。
ツタンカーメン 黄金のマスク
(c)Osiris Express

 ミイラ室にも行きました。この部屋に入ると文字通り背筋が凍るような寒さを覚えました(実は、ミイラ室のみエアコンが 効いていただけの話ですが・・・)。永遠の眠りについていたファラオ達は、墓から運び出されて博物館に入り、 こんなに大勢の人々の目にさらされるとは夢にも思っていなかったでしょう。「安らかな眠り」とは言えないですね。

 ハンハリーリ・バザール。 2009年2月には、爆発事件が起きた場所でもあります。エジプトは怖い所ですね。 土産物店等が数多く並ぶ市場。 商店街の向うにミナレット(イスラム教モスクの尖塔)が見える光景は、どこかで見たような・・・ そうだ、大阪 通天閣界隈の新世界と似ている! と思いましたが、あまり似てへんか。
通天閣(大阪)
ミナレット(カイロ)

 ガイドさんの説明の後、集合場所と時間を決めて自由行動。 私と息子は、ある店で買い物をしました。価格交渉が大変。価格交渉が終わった後も他の物を付けて 少しでも高く売ろうと する店員には、ほとほと辟易。しつこさに負けずに買い物を終わると疲れ果てました。店を出ると、家内も 含めた同行の方々3人の姿が見えません。

 ガイドさんから言われていた道順を進むが、途中で疲れて集合場所に戻りました。 集合場所の隣には、エル・フセインモスクがあり、中に入ってみました。 靴を預けて中に入る。扇風機が回っていて心地よい。床に寝転んで休んでいる人多数。コーランと思える 本もあり、ペラペラめくってみました。こんな所が待ち合わせ場所だったらいいなと思いました。 家内とはぐれていた事もあり、早々にモスクを出ようかと思ったところ、壁に小さな入口を発見。入ってみると 装飾で輝く大きな墓(?)があり、その周りは祈りを捧げる人でいっぱいでした。あまりにも神聖な場所に思えて 写真を撮る事も忘れていました。モスクを出る時に靴を返してもらいましたが、その際、賽銭(?)を催促されました。 良い物を見せてもらった気がして気持ちよく出せました。

 さて、モスクの前に座って家内が戻って来る事を待ちました。息子の隣には小さな男の子がいて、 息子は持っていた折り紙をやろうとしましたが受取りませんでした。男の子はポケットティッシュを手 に持っていて、それを売っていたのでしょうか? 私の隣には老婆が座っていましたが、私の 腕をつついてくるではありませんか!老婆を見ると、指を口に持っていく仕草を繰り返しています。何か 食べ物をくれと言っているのかなと思いましたが、何にも持っていなくて・・・。 そのうち家内達3人が集合場所に来て、ほっとしました。家内達も、私と息子を探していました。 「どこに行っていたの?」と聞かれましたが、それはこちらのセリフです。私と息子が買い物中に、他の店に 行っていたようです。それならそれで、ひとこと言ってくれさえすれば良かったのに! その後、家内はハンハリーリ・バザールでの最後の買い物をしましたが、やはり価格交渉に疲れました。 ほんの少ししか見ていませんが、この市場の品物は、値切れば安くなりますが品物もそれなりのようです。

 市場近くの場所のレストランに行き、夕食のカレー料理を食べました(残念ながら禁酒)。 とうとうこの旅行も、後はカイロ空港に向かうのみになりました。
 カイロ空港に着いてから、夕食の禁酒の反動で缶ビールを一杯。 機内ではアルコールが出ないので、もう一本買って搭乗しようと思っていました。 SAKARA、STELLA、LUXORと言ったビールを飲んで来ましたが、 最も気に入ったSAKARAビールを買い込んで、機内食の際に飲む事を楽しみにして 搭乗時間をまっておりました。これで往路の関西空港での無念を晴らせる・・・はずでした。
 ここで、悲劇が!ビールを買ったのは空港に入る際に手荷物検査を行った後だったので安心しきっていたのですが、 搭乗直前にも手荷物検査があったのです。手荷物検査後に多数のミネラルウォータ のペットボトルが置いてありました(アレッ!)。手荷物検査員が私の手荷物を開けるように言いました (エッ!!)。そして、私のSAKARAビールを取りだすと「これは何?」と聞かれました。 見ればわかるでしょ!そして私のSAKARAビール(10ドルもしたんです!)は多数のミネラルウォータと共に 没収棚に 置かれました。未練がましく、今飲んではいけないか?と聞きましたが、返事は「NO」。 私のSAKARAビールを返してくれ〜〜〜。\(*`∧´)/
 手荷物検査は既に終わっていたので、2回目の手荷物検査を軽く考えていました。また、エジプト国内線の手荷物 検査ではペットボトルはフリーパスだったので、完全に油断していました。機内でビールを飲むと言う 私の楽しみは行き帰り共に実現しなかったのです。(ファラオの呪いか?)


◆9月28日◆
 関西空港に無事到着し、次男は神戸に帰り、家内と私は大阪駅近くから熊本まで12時間の夜行バスに乗りました。 カイロ〜関西空港まで約11時間でしたので、熊本はカイロより遠いですね。(^_^;)
 今回のツアー中に、江戸府さんのお腹の具合が悪くなりました。私ども家族3人に異常はなく、ほっとしていましたが、 3人とも帰国後にお腹がゆるくなってしまいました。連絡を取って見ると内流さんも帰国後におかしくなったそうです。 5人中1人がツアー中に、残りの4人全員はツアー後にお腹の具合を悪くしてしまいました。 恐るべし、エジプト旅行!ファラオの呪いか?
 本ページの冒頭に「決して恐ろしい内容ではございません」 と宣言しておきながら、ファラオの呪いが続出の恐ろしい内容になってしまいました。申し訳ございません。
2010年11月

◆追記
この旅行の後、エジプトで大変な事が起きました。2011年1月25日に反政府デモが始まったニュースを聞いて、 旅行中にガイドさんから、ムバラク大統領の独裁体制の話を聞いた事を思い出していました。それから18日目の2月11日、 約30年にもわたりエジプトに君臨してきたムバラク大統領が、反政府デモの圧力に抗しきれずに辞任したのです。 誠に身勝手ながら、私達の旅行中に起きなくて良かったと胸をなでおろしました。今後、早期に平和な国になって欲しいものです。
2011年2月


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