半導体ウェハーの事を少しだけ説明しておきます。LSIはシリコン製の直径200mm 位で厚みが1mm位の円盤(ウェハー)の上に電気回路が作りこまれます。電気回路を作り込んで 行く上で、不良が発生する場合があります。その原因を調べるためにウェハーを割って 電気回路の断面を、電子顕微鏡で見る事は、良く行われる方法です。 シリコンには結晶面に沿って割れる性質があります。結晶面に沿って割れると言うのは そうですね、あまり良い例えではないかもしれませんが、竹を長手方向に割る事を想像 してください。いったん切れ目を入れると、後はまっすぐ割れてくれますよね。シリコン 製のウェハーもそんな感じで割れる性質がありますので、全くの手作業で割っても、 ある程度は狙った場所で割る事が出来ます。狙えると言っても手作業です ので、もちろんそれ程高い精度は望めません。この時、評価しに行ったのは、この割る作業 (劈開)を行う機械です。機械を使うとは言え±0.5μmの精度で劈開を行うと言うのは 信じられない位の精度であります。
話を元に戻します。
この時、お世話になったのはHPL−J社の石川さん、松村さんとSELA社のOliverさん
でした。ほぼ一日かけて、装置の評価を行わせてもらいました。
評価終了後、3人の方々と夕食をともにさせてもらいました。仕事の話もしましたが、
とりとめのない話もしました。その中で、私の趣味であります篆刻の話を致しました。
石川さんは、篆刻にたいそう興味を持ってくださいまして、私に印を作ってくれとも言
われました。
石川さんの場合は特に困難を感じなかったのですが、Oliverさんにもと言う話になりま した。また、SELA社社長のSmithさんの分も同時に頼まれました。外国の方の印を作った事は 無かったので、少々困惑しました。「アルファベットで作れば良いのでしょうか?」 と尋ねた所、「漢字で」と言う事でした。当て字でするしかないだろうなと考えなが ら引き受けました。ここまでの話は1999年5月の話で、これ以上詳しい事は、 残念ながら覚えていません。しかし、今この話をするのには深いわけがあり、それは、 後ほど述べます。
石川さんの印への要望は、話が2転3転しました。最初は「姓名印」を、と言う事でした。 ところが、しばらくして創業の句を刻ってくれと言う事になりました。創業の句とは、 石川さんがHPL−J社を設立された頃に、仕事が終わられてから京都の清水寺に行かれ た時に作られたそうです。清水寺境内の成就院の庭園をライトアップでご覧に なったそうで、言葉に言い尽くせないとても優美な世界だったそうです。 (ちなみにこの場所は、11月17日頃より2週間だけ開園しているという地元の 方でも見る機会があまりない所だそうです) その時に浮かばれた句「成就院 見て清水の 枯葉舞う」を印にしたいと言う事でした。
これをどうしようかと随分悩みました。印にどう表現するかは石川さんにも確固たる ご意見は無くて、ただ、石川さんは伝統的な篆刻の表現、つまり篆書による表現が 気に入っていらっしゃるようで、どうするべきか困ってしまいました。私には 漢文の素養がないので、中国の方に漢文に直してもらおうか等と考えていました。 でも、それは、結局石川さんの表現を曲げてしまう事になるに違いないと思い、 石川さんには、漢字かな混じりのそのままを印にする事をお勧めしました。幸い それに同意してくださいましたのでそうする事になりました。その際、句は、 「成就院 見て清水を 飛ぶ枯葉」に変えてくれと連絡を受けました。石川さん 御自身を枯葉にたとえられ清水の舞台から飛び降りるような決心で創業された事を 表した句と言う事でした。
印面には、もちろん左文字を書かなければいけません。篆書ですと左右同形の 偏、旁が多く、左文字を書く事はそれほど難しい事では有りません。しかし、篆書以外 の文字を左文字にするのはとても骨が折れます。たしかに困難では有りましたが、 日頃行っていない事を試みる事は楽しくも感じました。
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■■目■■目■■ 暗■ 目前■真暗■■■■■■■■ ■■■■暗暗■■
最初に聞いた句「成就院 見て清水の 枯葉舞う」が頭の中にこびりついていて、最終的な 句とごちゃごちゃに成ってしまったようです。でも、少しも言い訳になっていません。 しばらく、悶々とした日々を過ごしました。しかし、最初に印の制作の話があってから 既に1年近くの時が過ぎています。とにかく現状を石川さんにお話すると、なんと そのまま受け取って下さると言う事でした。良心的な篆刻家であれば、また頑固な 篆刻家であれば、ここで頑として再作をするのでしょうが、篆刻家でもなく、 七面倒な事をやっているようで、その実、物臭な私は石川さんの言葉にすっかり 甘えてしまいました。今思い出し見ても何といい加減な事をしてしまったのだろう と後悔しています。石川さん、いつでも作り直せと言われれば、作り直す事をお約束します。
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お二人の印は石川さん経由で渡してもらいました。私の印が海を渡るのか、と思うと、
なんだか私自身も飛んでいくようで、わくわくうれしくなってきました。また、篆刻がイスラエル
にある事自体、大変珍しい事ではないかと勝手に想像しております。
それから半年後、1999年12月のセミコンジャパン会場にて、私は石川さんからイスラエル からのお礼の品を受け取りました。エルサレムの寺院をかたどった彫刻が埋め込まれた 小額でした。大変立派なもので、今眺めていても恐縮してしまいます。私は石川さんに セミコンに行く事を話していませんでしたので、不思議に思ってたずねると、 「わかっていました」とのお答えでした。以前からそんな気はしていていたのですが、 石川さんは少しミステリアスな方です。
さらに、一年半後の2001年7月、私のWeb siteを開設しました。作ったからには、 人に見てもらいた くて、石川さんにも連絡しました。さらに、石川さんには、Web siteの中の作品集に 石川さん、Smith さん、Oliverさんの印も、是非掲載させて欲しい由連絡しました。掲載は許して いただけましたが、その連絡の中で、Oliverさんが昨年亡くなられていた事を 知りました。あれほどわくわくした気分で送り出した私の印の持ち主が亡くなって しまったなんて・・・、しかも、まだ働き盛りの年代の方だったのに・・・。 信じられない、悲しい思いでいっぱいになりました。
石川さんは、イスラエルのSmithさんに私のWeb siteの事、またその中にSmithさん Oliverさんの印も掲載されている由連絡してくださいました。そして、Smithさんから Oliverさんのご家族が、近々SELA社を訪問されるので、その時に私のWeb siteを見せ たいと考えていらっしゃる事を聞きました。何と言うタイミングでしょう。私は、 既にWeb siteにしている印影だけでなく、お悔やみの言葉やOliverさんにお会いした 時の事等をご家族に伝えられないものかと考えました。Webを見てくださるのなら、 Web siteにメッセージを書くのが一番かなと思いました。他の人にも見られてしまいますが 見られて困るようなメッセージでもないし、期間限定公開と言う事で急ごしらえでWeb siteを 作りました。 ここをクリックするとその時の私のメッセージが出ます。
SELA社の方々は、Oliverさんの具合が悪くなられてから亡くなられるまでの間もご家族の 支援をなさっていたそうです。 Oliverさんの死後は、ご家族、とりわけまだ小さな二人の娘さんたちの 心のケアのために、娘さんの誕生日にご家族をOliverさんが勤務されていた事務所へ招いてお祝いを されていたそうで、今回は、上の娘さんの誕生日だったそうです。ご家族がSELA社を訪問され た時には、Oliverさん記念コーナの机上のパソコンで、ご家族に私のWeb siteを見せて下さ ったそうです。これが今回のハイライトだったとSmithさんは言ってくださいました。
社員の事を本当に親身になって考えてくれているSELA社の皆さん方の暖かい思いを、 私も感じる事ができました。 また、私も微力ながらそのお手伝いが出来た事を大変うれしく思いました。 私がWeb siteを作って、まだ半年も経っていませんが、これほどの感動を得た事は もちろん有りませんでしたし、これからも再びあるかどうかもわからない貴重な出来事でした。
Webは、全世界に繋がっている事は頭では理解していても、実際に外国の方に見 ていただき、その反響を聞く事が出来て、私は初めてWebの広がりを実感できた ような気がしました。また、今回の事はWebと言う技術だけで外国の方と繋がり を持てた訳では決してなく、篆刻の世界を通しているからこそ、このように対話 する事ができたのだと思いました。篆刻に改めて感謝した次第です。
Oliverさん、Smithさん、石川さんの印の依頼は、面白い話だとも思うのですが、 Web siteにしようとは全く思ってもいませんでした。なぜなら、印の依頼は個人的 なもので、Web siteにして公開するような性質のものではありません。
しかし、私がWeb siteを開いた事を連絡した事でOliverさんが亡くなられた事を知り、 ご家族にWeb siteでメッセージを送り、ご家族が私が刻した印を大切に持っていら っしゃる話を聞く等、篆刻と私のWeb siteにとって記念碑的な出来事になりました。 また、改めてこのページを作成することにより、Oliverさんに縁のある方々への メッセージになると思い、皆様に許しを得て、Web siteにさせてもらいました。
若くして亡くなられたOliverさんの御冥福をお祈りいたしますとともに、拙いもの
ですが、このWeb siteをOliverさんと、ご家族、SELA社、HPL−J社の皆様方
に捧げます。