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左右の筆順(3)争座位文稿

本ページは
 左右の筆順(1)文字の成立ち
 左右の筆順(2)決定の真相
の続きです。

ここでは、顔真卿 争座位文稿の「右」字の筆順の話をします。

 注目するのはこの字です。

 争座位文稿の3行目「右」ですが、筆順が変です。 どう見ても、横画「一」を書いた後に、左払い「ノ」を書いたように見えます。 顔真卿が筆順を間違えたのでしょうか?

 争座位文稿の中で、右の字は、他にも出てきます(25行目、48行目)。左の字もあります。

 左右の字はどちらも正しい筆順です。 顔真卿ほどの教養人が、筆順を間違えるはずはないのです。 もし、間違えたとしたら、何らかの偶発的理由があったのではないかという事が考えられます。 もう一度、冒頭の右字をみてみましょう。

 注目したいのは、右字の中の「口」の部分です。「口」の中に白い所があるのは、キズであろうと思い込んでいました。 しかし、顔真卿が筆順を間違えるはずはない・・・という前提でもう一度見てみましょう。 そうすると、こんな仮説が浮かび上がってきます・・・ 顔真卿が最初「左」と書いた直後に誤りに気付いて「左」を無理やり「右」に書き直したのではないか?

 争坐位文稿は、右僕射(役職名)の郭英乂が、集会の時に座位を乱した事に対する抗議の手紙の草稿です。 草稿・・・つまり下書きです。実際にこの書を送ったわけではなく、別途、正式に書き直したものを先方へ送ったはずです。 先ず、この書は下書きであるという事を念頭に置いて下さい。

 さて、問題の「右」は、「右僕射」の「右」です。 顔真卿は、怒りをぶつけるように手紙を書き進めたと言われています。激昂のあまり、役職名を誤って「左僕射」と書いてしまい、 その直後に郭英乂が右僕射である事に気づき、とっさに「左」を「右」に書き直したのではないか?という仮説です。 上下を間違える事はないでしょう。しかし、左右の間違えは時として起こるのではないでしょうか?

 草稿(下書き)である事、激昂のあまり左右をついつい書き誤ってしまった事により、 この、筆順が変な「右」が出来上がったのではないでしょうか?

 草稿であろうとなかろうと、石碑の刻者は、筆で修正した所も含めて精密に彫るので、 顔真卿が誤って書いた所もそのまま石碑に彫られてしまいます。 ・・・と言う事で出来上がったのが、冒頭の、変な筆順の「右」ではないか?というお話でした。

 実は、この話は、何年か前にネットで見つけて知りました。 今回は、そのHPを紹介しようとしましたが、そのHPがどうしても見つからないのです。 本稿で同様の事を書いてしまった事をお許し下さい。

 左右の筆順の話はネット上にも沢山ありますが、私なりに納得の行くまで丁寧に説明を加えたつもりです。 正確な筆順を守る事はとても厄介です。でも、古典の美しい字形を身に着けるためには大事な事だと思っています。 また、筆順を読み解いていくと文字の成立ちも見えてくる・・・と言うのも面白いです。

2024年2月記


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